イタリア野郎がやって来た    舘 浩道

 松戸のホスト会員Yさんから「セルジオは夜の10時にやって来た」と聞かされていたので、彼が一人で成田から松戸まで自転車でウロウロしている様子が目に浮かんだ。

 受入側としてはそれほど遅いと家族も迷惑するし、ストレスにもなるので、横浜のホストOさんにはこちらから迎えにゆくと連絡し、朝の9時にOさん宅に到着。やはりセルジオは2日前の夜11時半に到着したという。到着が遅いことを前もって聞いておいてよかったと、感謝された。

 松戸から横浜まで都心を抜けて初めての道をゆくのだから無理もない。都心で立ち寄ったところは唯一、秋葉原だけというセルジオ。デジカメの購入が目的だったらしいのだが、まだ入手できないでいる。ロンドンでも秋葉原は有名で、東京ではそこだけが、安い家電製品が買えるところと信じ込んでいるようだった。そんなものはどこでも買えるからと、地元の家電店に連れて行く約束をする。

 

 10時前に鎌倉にむけて出発する。彼の荷物は相当に重い。色々なものが満載されている。10カ月間のアジア旅行だから無理もないと思うが、ボクはもう少し減量できると見た。

 

 途中で雨が降ってきた。荷物が濡れることをセルジオが気にしている様子が、ボクのミラーに映し出されている。彼を先導して走るためにミラーを付けてきてよかった。あまりに荷物が重い彼は、終始ゆっくりペースだ。こちらは「空身」なのでママチャリより早い。ともすれば彼を置いてきぼりにしてしまう。そこで、ときどきミラーで確認して待ってやることにする。ミラーがなくていちいち振り返っていたのでは、こちらの首がもたない。

 雨は降ったり止んだりで、鎌倉に入ってまた降り出してきた。雨の鎌倉は情緒もあって素晴らしいが、そのことをセルジオが理解できたかどうかは別問題だ。彼は相変わらず雨を気にしているようで、荷物をなるべく濡らさないようにと気にかけているが、それは自転車の旅のいわば常識なので、どうも不器用な気がする。

 

 円覚寺前で駐輪し、いざ参拝しようとした時は驚いてしまった。彼は自転車に積んである全ての荷物を取り外し、たすきがけに背負うではないか。そんなことをしなくでもここは安全だからといっても聞かない。ホストから東京はいろいろとあるところだからと注意されているからという。ホストの老婆心を忠実に守っている彼をみて思わず笑ってしまった。駐輪場所、時間帯、周りの状況など総合判断して、この場所は問題ないよと云ったのに、彼は重い荷物姿でよろよろと円覚寺の石段を登ってゆく。マンガチックな光景だ。

 

 それでも雨に煙る円覚寺の境内の雰囲気に、何かを感じたらしい様子。日本式の庭や塔頭、本堂と僧侶の姿も見られ、少しだけ鎌倉の歴史的雰囲気を感じ取ってくれたように思う。

 続いて神社の代表格である鶴ヶ岡八幡宮に行く。ここは外国人の観光客も多く、朱色のベンガラ塗の建物が緑に映えている。お寺と神社の違いなどを少し説明するが、「舘さんは仏教徒ですか」と聞いてきたのでどぎまぎしてしまう。日本ではキリスト教徒や、ましてや仏教徒を名乗る人は非常に少ないし、宗教と日本人の暮らしの関わりも特別なものがあるので、それらを外国人に理解してもらえるように話すのはとても難しい。たとえば、なぜ日本人は正月にお寺に初詣をして、結婚式は教会で行い、葬式は多様なやり方が存在しているのかなどといったことである。

 鎌倉駅周辺のお土産を売っている通りを抜けて、紫陽花で有名な極楽寺や長谷観音を抜け、稲村ヶ崎から湘南海岸にでる。江ノ島も見え、太平洋だと教える。

 

 江ノ島からは一路、境川を北上する。川沿いの道はクルマから隔離されているので安全なサイクリングができるとの判断である。セルジオは時々「あと何キロですか」と聞いてくる。そんなことで、本当にアジアの旅を続けることができるのかとこちらも気になってくる。

 雨もあがり、濡れたシャツも乾いてくる。自然と一体になった心地良さを感じる瞬間である。セルジオは休憩時に足が痛いと云い出した。彼のシューズは普通のスニーカーでペタリング運動には適さない。靴底が柔らかすぎるのだ。デジカメも必要だが、底が堅く、安定してペタリングができるサイクリング専用シューズも必要だと感じた。なにしろ超長距離を走ることになるのだから・・・。でも彼はまだそれを買い求める気がないようだ。

 多摩地域に入り、ニュータウンの丘陵で東京にも坂が多いことを体験してもらい、70キロほどを走ってようやく自宅に6時頃たどり着いた。

 天麩羅でウエルカムパーティーをした。なんでも食べてくれてうれしいが、28歳にしては少食である。

 セルジオには、リビング続きの和室を提供した。リビングとは襖3枚で部屋を仕切れる構造である。当然、布団で寝てもらうことになるので、万年床にしないために毎朝、押し入れに仕舞うことも教えた。

 今朝は就寝中のエアコン調節がうまくできなかったみたいで鼻をぐすぐすやっている。日本食の朝食にも興味を示していた。

 朝から自転車を調節したいと云いだし、持ってきた部品でハンドルの高さをすこし伸ばすかなり大がかりな仕事をやり始めた。実は走行中の彼の背中が猫背になっており、腰が痛いと云っていたのだった。走行中の姿勢を正しく保つには、ハンドル位置を高くする必要があるのだが、それは出発前に行っておくべきことではないかと思う。

 彼は丸1日かけて自転車整備に費やしたのだが、うまくいったのはワイヤー交換だけ。彼の自転車はイギリス製で、様々な個所で微妙に方式が違うので、見かねて自転車屋に持ち込んだのだが調節は困難だった。

 

 夜は、出前寿司をとった。彼はロンドンの寿司と違うという。当たり前だ。いつもは「グッド」といって食べている彼だが、寿司を食べたら「グッド」の前に「ベリー」がついた。

 食後、グーグルアースで彼の出身地のシシリー島を拡大表示して、生家はどこかと聞いたが、19歳の時に島を出て、すでに長い間ロンドンに住んでいるので、島の上空から生家を探し出すことが出来なかった。彼の生家はシシリー島の東海岸にあり、そのカタニア(Catania)という街はエトナ火山の南に位置する。

 

 次の日も、朝からセルジオは自転車整備の続きを始めた。終わったのは午後3時。せっかく東京に来てサイクリングを楽しみたいというのに、丸1日半以上かけて自転車の整備とは・・・。

 

 彼に、東京から福岡まで中部地方と西日本を縦断するルートは決まっているのかと聞いてみた。そしてどんな地図を持っているのかとも・・・。彼の地図は200万分の1と、100万分の1の部分図だけだ。この程度のラフな地図では日本の道路は走れない。ボクは東京から福岡までのデジタル詳細図をPCから印刷して渡してやったら31枚にもなってしまった。これでも心もとない位の精度のものだ。そして彼のために、通過するルート沿いの街の日本語表記をローマ字表記にし、主な観光スポットも書き込んでやった。彼の口からは「グッド」の前に「ベリー」が2度発せられた。

 

 ようやく自転車の整備が終わったところで多摩川の支流、浅川流域にサイクリングに出かけた。雨も上がり、とても気持ちが良い。

 帰路、約束のデジカメ購入のため家電店に入る。折角日本から旅をはじめるのだから、カメラは必需品だ。時間をかけて英語が話せる店員から根掘り葉掘り聞き出したうえでキャノンのIXY製品を1時間かけて慎重に選んだ。

 帰りはイタメシで空腹を満たした。日本のピザはすこし柔らかいと云っていたが、味はまあまあと云う。彼は旅行資金を蓄えるために、極力外食を控え、自分でクッキングしてきたので、レストランでピザを食べるのは久しぶりという。腹が減っている彼はパクパクとピザを口に運んだ。

 

 彼は今回の旅行のためにロンドンの旅行会社を辞めてきているので、旅が終われば、まずシシリーの両親の元に戻り、そのうちスペインのバルセローナで働くかもしれないと話した。バルセローナには2~3年住んだことがあるらしく、イタリア人も多いからという。職をなげうっての長期アジア旅行、その後のスペインでの新しい仕事さがしなど、若いとはいえ、かなりのバイタリティーを感じた。

 3日目。雨上がりの好天。セルジオが都心の観光スポットを自転車で回りたいというので、神田川沿いにまず新宿に向かった。新宿駅周辺を回り、六本木ヒルズに向かうが、新しいスポットにはあまり興味がないようだった。虎ノ門を経て皇居へ。ここではブラジル人のグループに頼んでシャッターを押してもらっていた。

 銀座4丁目でもパチパチと写真を撮っていた。築地では場外市場の寿司屋で昼食としたが、特選海鮮丼を食べたいというので注文したら、また写真だ。彼の仕草が周りの客の笑いを誘っている。食べてみて思わず「I can't believe it!」と云った。よほど美味かったらしい。

 

 次に向かったのはお台場。トビウオが盛んに跳ねているのに驚いていた。両国では国技館前で場所中の雰囲気を楽しんだり、力士が歩いているのをカメラに収め、「so big」などと云っている。

 浅草では、仲見世で「人形焼き」や、「揚げまん」を食べ、浅草寺では清めの手洗いや、厄よけの大きな香炉と線香の煙と戯れ、本堂の観音像や天井画に興味を示めした。彼が昨日買ったデジカメのCANONの名前の由来は観音から来ているというと、驚いていた。

 暗くなってきたので、上野公園はパスして、小滝橋を経由して神田川沿いに戻ってきた。朝9時に出て、帰宅は7時半だった。10時間半のショートトリップだったが、100キロを超えるサイクリングとなり、彼も満足したようだった。夕食は「肉じゃが」と「ぶり照り」を提供したが、「ニガウリの酢のもの」は「strange」と云い食べ残した。

 

 

 セルジオ滞在の最終日だ。ただ、東京にはあと2~3日滞在したい様子で、今日は、中野の「みお」と呼ばれる女性宅に行くという。

 午前中は、また自転車のチューニング。彼はルート沿いのホストはどこかと聞いてくるので、通過する地域のホストをリストアップしてやったら、小田原あたりから西日本にかけて、ホスト探しのための依頼メールを乱発した。

 

 最後の昼食を食べるのでセルジオに「パスタを作れるか」と聞いたところ、是非作りたいという。早速、スーパーに買い物にでかけ、「カルボナーラ」を作ってくれた。さすが旅行費用積み立てのために自炊しているというだけあって、なかなか手際がよかった。包丁捌きも鮮やかで、約束した30分間で本場イタリアはシシリー風のカルボナーラが出来上がった。なかなかの味でさっぱりしている。セルジオも美味しく食べていただいて作った甲斐がありますなどという。

 荷物をまとめて午後3時に中野に向けて出発。前線が北上したのでとても暑いが、シシリー島の夏は40度に達するようで、この程度の暑さは好きだというセルジオ。

 道すがら、もし日本でホストが見つからなかった場合、公園でのテント泊は安全で、飲料水も簡単に手に入ることを教えてやる。そして警官の職務質問にはパスポートを示すなど正しく対処すれば問題ないということも付け加えた。

 約束の4時半に中野駅前に到着。計ったように到着したので彼は驚いていた。中野駅前は忙しそうで、なかには小走りの人も多い。セルジオは「働いているとき舘さんも忙しくしていましたか」という。「そうだった」と返事すると、彼は「でも今は時間がたくさんあるでしょう」という。こんな話をしているときに「みお」が現れた。「みお」はイギリスに3年ほど滞在した日本女性で、その間にセルジオと知り合ったという。彼女は野方の小さなアパートの部屋を彼に提供し、彼女自身は近くの姉の家に泊まるという。下ぶくれの日本的な顔立ちの女性だった。一見して、しっかりと自律した生活をしており、彼を託しても大丈夫と感じた。

 福岡から韓国、中国、東南アジア、そしてチベットからインドへというセルジオの長旅の安全を願い、握手を交わして別れた。

 

 その後、セルジオの轍を確かめるために、時々彼のブログを覗いてみた。それによると下関からフェリーで釜山に上陸。韓国を縦断し、中国での冬の寒さを避けるために北京から南下し、香港、マカオ、ベトナム、ラオス、そして再び昆明など中国雲南省を経てネパールに行き、遂に目的地のインドのデリーに到着したという。9月初めに日本にやって来て、翌年の6月5日デリー到着と記されているからセルジオのアジアの旅は約9カ月間でインドに到着したことになる。その距離は9900キロ。ボクも何度も海外自転車旅を重ねているが、彼には到底及ばない。もちろん、今でもメール交換を続けているし、ことによればローマあたりで再会できるかもしれない。