インドでの不思議な出会いに感謝  木村 歩美

 “I respect Japanese woman.”(私は日本人女性を尊敬している。)

 

 日本に住んでいたことがあるという記載のある家族をServas Indiaのホストファミリーのリストから見付け、コンタクトを取り始めたら、Emailでこんな風に返された。

 

 一体、この人は日本でどんな経験をしてきたのだろうか。私は、なんとなくその人に会わなくてはいけないように感じていた。

 

 何度かメールでやり取りをしたものの、結局予定が合わず、ホストの家には泊まれないことになった。それっきりになるかと思われたが、その後、私が無事に着けるよう配慮にあふれたメールがことあるごとに届いた。『君の到着する8月末は大きなデモがある。交通機関が止まるから気を付けて』、『ニュースによると、デモはなくなったようだ。良かった…。』

 

 会ったこともない私を気にかけてくれているのを目の当たりにし、やはりこの人と会うのを諦めてはいけない、そう感じた。日本を含め、数々の国に住んだことがあるというホストは、一体どんな面白い人なのであろうか。インドに着いてから、そのホストに電話をしてみた。そして、ムンバイ郊外でのインド人の同僚の結婚式に出席した後、ホストの家を訪れることになった。電話の向こうで、毎回ホストが、断定的口調で話すのが気になった。難しそうな人なのではないか…やや不安になった。

 2日半にも及ぶ温かな結婚式が終わり、結婚式会場からタクシーでホストの家に向かった。1週間分の大きなスーツケースを抱え、一緒に結婚式に出席した日本人の同僚2人と一緒だった。

 

 雨季の大雨、インドらしくデコボコの道を乗り越え、1時間ちょっとで、ホストの住所の辺りに着いた。しかし、ホストの住んでいるマンションの建物が見つからない。ホストに何度も電話をしても繋がらなかった…。10分ほど、どうするか車中で話し合ったものの、電話にも出ないのだから、もう会えないだろう、そう諦め、去ろうとした瞬間、タクシー運転手の電話が鳴った。なんと、奇跡的なタイミングでのホストからの電話だった。なんと彼は外出しているという。すぐに戻るから家に来るようにと言われた。すぐに戻るといっても私たちが来ると知っていたのに外出していたなんて、大丈夫なのだろうか…。そして、場所がわからないという私たちを、迎えにも来てくれない…。仕方なく私たちは、大きなスーツケースを抱え、小雨の降る中、周辺をうろうろ歩いて、なんとかマンションを探し出し、部屋にたどり着いたのだった。

 ホスト(写真)は外出から戻り、1人で家にいた。横にも縦にも大きく、貫禄がある。電話でのあの断定的口調がわかる気がした。私は緊張していた。おこがましくも、建物がわからなかった私たちへの対応があまり親切でなかったことから、そのホストのことを信頼できるのか不安であった。なんとなく恐そうな人であったし、何を考えているかわからない。貴重な時間にもかかわらず、知らないところに同僚を一緒に連れてきてしまった責任もある。来ない方がよかったのだろうか…。

 

 悩んでも仕方ない、そんな緊張を解きほぐそうと、私は自己紹介を始めた。ホストにも色々質問をした。いつ日本に来て、何をしていたのかと。ホストはかつて船会社に勤務し、船に乗って5回も日本に来ていたのだという。若い頃は船に乗って五大陸を駆け巡り、キャリアを積んだ後は、各港で数か月滞在し、物流の仕事をしていたのだそうだ。なんと計80ヶ国で働いたことがあると言う。ソマリア、シリア、リビア…どこにでも行ったそうだ。『リビアのカダフィは悪くない。あの国の政府は石油で潤いすぎて、世界一の福祉を提供してきた。反政府軍はただどこにでもいる、政府に不満を持つ連中だ。悪いのは、偏った見方をして一方的にカダフィを悪とするNATOだ!』

 どこまで本当かはわからないが、世の中の常識を覆すような物の見方。やはりタダ者ではない…。「ただの怖い人」から、「世界を見尽くした、卓越した人」となった。さすがインド、色んな人がいる。

 

 まだ緊張も解けきってはいなかったが、奥さんが仕事に出る前に作って行ってくれた昼食を振る舞っていただくこととなった。それは典型的なインド料理ではなく、野菜をシンプルに味付けし、オリーブなどのインドにはない、世界の食材を取り混ぜたシンプルな野菜料理だった。『世界を回り、世界の一流ホテルに泊まり続けてきた。贅沢はもう見尽くした、だから贅沢さはもう要らない。シンプルな食事にシンプルな暮らし。自然に身を任せて暮らしていくのが一番幸せだ。』という。自分に必要なものを知っている人だ。

 その後、ホストの友人が撮影したという数々の芸術的な写真を見せてもらい、防犯用として自ら女王蜂を買って作ったという、マンションの窓の外にある巨大な蜂の巣まで見せてもらった(!)。1つ1つに驚かされ、唖然とする私たちであったが、そのどれもが興味深く、巨大な蜂の巣でさえもその家にあることが理にかなっているので、そのホストに対する興味が増していった。…そんな中、次第に気持ちは打ち解け、緊張はいつの間にかなくなっていった。

 

 しかし、ある瞬間、彼のそんな重厚な態度が一変する。渋滞の激しい中、夜までにムンバイに到着するため、私たちが4時くらいに、タクシーを呼んでもらった後のことだ。『あと30分でタクシーが行きます』そうタクシー会社のオペレータに告げられて、別れの準備をしていた私たち。

 

 しかし、その20分後、突如電話が鳴る。『先ほど予約を受けたタクシーは行かれなくなりました。』

 ちょうどその日は雨季の雨がいつもに増してひどく、さらにその地域では非常に重要なお祭りが開催されていたため、タクシーに対する需要は高まる一方で、サービスの一部は停止中。

 

 私たちはムンバイには高価な5つ星ホテルを予約してあった。お金は払ってある。ここで止まっていることは出来ない、ムンバイでホテルを満喫しなくては…やや気持ちが焦る。しかし、本当に焦っていたのは私ではなく、ホストであった。彼は怒り狂っていた。彼は思いつく限り、数多くのタクシー会社に電話をする。次々に友人に電話をし、より多くのタクシー会社の電話番号を得てまたかける。『2時間後なら行かれるかもしれません』『20分後に行かれるか確認のお電話をします』

マニュアル通りの機械のようなオペレータ達。

 そんな態度にホストは電話をする声が次第に荒くなり、タクシー会社のオペレータに激怒する。その焦りと焦りは、私たちがただ外国人の客である、というだけでなく、日本に何度も来ていて、日本社会において、いかに物事が静かに、スムーズに進むのかを知っていたからだった。私たち日本人にとって、このいい加減なタクシー会社の対応が何を意味するのか、非常に大きな配慮を持って考えてくれていたのだ。

 

 一方の私たちは、意外と冷静さを保っていた。卓越した雰囲気のあるホストが、取り乱すほど私たちのために尽くしてくれる姿に驚き、申し訳なく、うれしくもあったからだ。そして、本当に頑張ってくれているホストの姿を見て何とか解決されるに違いないという気がしていた。

 

 そうこうしているうちに、最初のタクシー会社からキャンセルを告げられてから1時間以上が経過していた。焦るホストは、車を運転できる友人にまで、車を持ってやってくるようにとまで告げてくれていた。最悪の場合、その友人の車で渋滞のムンバイへ向かおう。でも他に方法はないものか…。私たちは途方に暮れていた。

 

 そんなとき、ホストの携帯電話が突如鳴った。それは、先ほど断ってきたはずの会社であった。『タクシーが20分後に行かれます。これからそちらに向かいます。』なんということか、私たちは驚きと同時に喜びに溢れた。大きな体のホストも喜んでいた。

 

“Thank you very much for your great help! We really appreciate that you were stressed on behalf of us!”(本当にありがとう!私たちの代わりにイライラしてくれて!)

“You are the best taxi arranger in Mumbai!”(あなたはムンバイ最高のタクシーアレンジャーだ!)

 

 私と同僚は、そんなことを冗談混じりにお礼を言った。彼が私たちのために必死に解決しようとしてくれていた姿は私たちの心を温かくした。

 

 そこに現われたのは、車に乗り、私たちをムンバイに連れて行くべくやってきてくれた、ホストの友人が到着した。白髪の画家であった。古い友人なのだという。わざわざ来てくれたのに、タクシーが来るので不要になったというご足労をお詫びし、心配してくれたことに感謝し、様々な話をした。幸か不幸か、20分後に来るはずのタクシーは、結局60分後まで現れず、コーヒーを飲みながら、ゆっくりと話すことが出来た。

最後に私たちはタイマーを使って、全員で集合写真を撮った。タクシーが確保できて、みんな安堵に満ちたいい笑顔をしていた

 

 “Keep in touch!”(これからも連絡を取り合おう!)

そういって私たちは別れた。ムンバイへ向かうタクシーの中、私たちはとても温かい気持ちにつつまれていた。

 

 この偶然の不思議な出会いに感謝したい。