スペイン冒険旅行         中込 さち子

 スペイン語を習い始めて3年。サーバスでスペイン一人旅行をしようと思い、トラベラーとしての面接をうけた。仕事を辞めていた3ヶ月、今がチャンスと思い、憧れのスペインへ旅立った(2007年12月)。

 マドリッドとバルセロナはメールでの返事が沢山あり、それぞれ一軒ずつサーバス会員宅に泊まる予定だった。しかし、アンダルシア地方のグラナダは会員が少なく、受け入れOKの返事はなかった。

 

 最初のマドリッドではMirtaのマンションに宿泊した。フリーで翻訳の仕事をしていて、17歳の息子のDarioと愛犬との3人暮らし。プラド美術館やソフィア芸術センターでピカソのゲルニカを観たり、古都トレドの半日観光をしたり・・。ここまでは“世界遺産をめぐるスペイン8日間の旅“と同じだった。

 次のグラナダへは飛行機で行く予定だったが、Mirtaがバスの方がずっと安いし、時間もほとんど変わらないと勧めるので、予定変更してバスを利用。

 

 グラナダへは午後2時発のバス。マンションの前でMirtaと抱き合って別れ、Adios! マドリッド最大の長距離バスターミナルに着き、電光掲示板を見るとグラナダ行きが14:30発になっていた。チケット購入の列の一番後ろの女性に聞くと「他のバス停が2時で、ここが2時半なのよ」と言う。ああそうか。

 2時半に地下のバス乗り場に行ったがバスが来ない。バス会社窓口で聞くと、「2時発のバスはもう出発した。どうして乗らなかったのだ。次の4時半なら席がある」と言う。えー!!

 このチケットを4時半のに換えてと言うと、乗らなかったのはあなたのミスだ。もう一度チケットを買えと言う。押し問答したが負け。仕方なくもう一度チケットを買うはめになった。Por que?(どうして?)と頭が真っ白。

 

 時間も有り余るほどできてしまったので、ターミナル内のバル(カフェ兼居酒屋)のカウンターでバックを置いてワインを飲み、テレビをぼーっと見る。その間5,6分。あっと気づいた時、足元のナップザックがない!残っているのは大きな旅行鞄とウエストポーチだけ。あわてて駅の警官に「泥棒だ、捕まえて」と頼む。しかし後の祭り。一眼レフカメラとガイドブックとスペイン語辞書と薬の入ったバックは二度と戻って来なかった。

 

  グラナダではMirtaが電話で予約してくれた新しいユースホステルに宿泊。快適なはずが、バックを盗まれた怒りと不安で3日間よく眠れなかった。ガイドブックもないのでどこの店がおいしいのかもよくわからない。世界遺産のアルハンブラ宮殿の写真も撮れない。唯一夜、マドリッドのMirtaに電話した時だけが安心で楽しい時だった。

 翌日アゼルバイシンの展望台で、日本人の若い女性3人組と出会い、事情を話すと、親切に色々教えてくれた。半日一緒にグラナダを観光した。彼女達の一人もスペインの空港に着いた時、旅行鞄が行方不明になり苦労したらしい。保険会社のお金を出してもらうため、領収書を店員に頼むとスペイン人は毎回面倒くさがって嫌がる。「スペイン人、仕事しないよね~。」が私達の合言葉だった。

 バルセロナに行けばなんとかなる。バルセロナのホストの書いてあるサーバスリストだけを頼りに私は旅を続けた。

 

 バルセロナのホストRuthの家や周りの通りは19世紀の街並みそのままだった。バルセロナは海に面し、古い建物が沢山残っている美しい街だ。念願のカメラも買い、携帯電話もVoderfoneの店でチャージして使えるようになった。グラナダではVoderfoneの店が一軒で、しかも昼休みが2時~5時。なんと昼休みが3時間もあるのだ。

 バルセロナは都会なので、昼休みは一時間半位。やっとまともな所に来たという感じだ。バルセロナの世界遺産や本場のサッカーもゆっくり楽しむことができた。

 Ruthもオープンでいい人だった。日本のおみあげの浮世絵の卓上カレンダーをあげると、とても喜んでくれた。こんなに喜びを素直に表現する人達がいるのだろうかと驚いた。旦那さんのSamuとケーキ作りの小さな会社を経営しているやり手の人だった。彼女のスペイン料理はとてもおいしく、パン・コン・トマテの作り方も教えてもらった。

日本に戻った今は、いい事も悪い事も全ていい経験だったと思える。一人でサーバス旅行をしなければ絶対味わえない旅。習ったスペイン語も通じて嬉しかった。超マイペースなスペインの人達との出会い。いろいろあったけど、Me gusta Espana!(スペイン大好き!)