中欧・東欧に中期滞在しました    松本 辰雄

 昨年7月1日から9ヵ月、中欧・東欧に中期滞在していました。旅行者として動いたのは8月のポーランドと9月のハンガリーだけで、残りの7ヵ月は半地元住民になりきっていました。特にルーマニアでの3ヵ月はアパートを借り、ボランティアとして子供達に日本語を教えていました(写真下)。8月はサーバスステイとホテル泊の組み合わせ。

 

サーバスステイはカトヴィツェ・オポーレ・ブロツワフ(2軒)・シビドニツァ・シャモチンスウープスク・ソポト・グダンスクです。9月はハンガリーへの移動前にイワバとワルシャワでサーバスステイ。ハンガリーではホテル泊・ペンション泊が主で、サーバスステイは最後の2都市、セゲッドとベケスチョボだけでした。

写真はサーバス夫妻の両方のご両親と一緒にディナー(バルト海沿岸の都市スウープスクで)

 写真はポズナン近くの小さな村シャモチンのサーバスファミリー

 

 世界のいろいろなところで親切にされてきましたが、ポーランド人の親切さは桁外れです。ピワのサーバスに泊めてもらえるかどうかをメールで打診したら、次のような返事が返ってきました。「私はもうピワには住んでいません。両親はまだピワにいます。生憎、両親はあなたがピワに来るときは、不在です。でも、心配はいりません。母があなたに最適の家庭を必ず探します。ピワに住んでいるシャモチン(車で1時間くらいの小さな村)出身者は全員母の友達ですから。」…「ピワの前はシャモチン滞在です・」と返信したら、シャモチンの家にお母さんから電話が入りました。(ホストファミリーの名前も告げていなかったのに。)

 

 紹介されたファミリーはサーバスではないのに、とても親切にしてくれました。そのことを報告すると、「ポーランドではごく当然のことです。家にお客さんがいると言うことは、家に神様がいるのと同じと考えられています。だから、クリスマスディナーは不意のお客さんに備えて、少なくとも一人前は多く用意しておきます。」とのことでした。一昨年、見ず知らずの家庭がクリスマスディナーに招待してくれた謎が解けました。ポーランドではこの「ごく当然のことです」を耳にしました。

 

 シビドニツァのサーバスフレンドとヤボールの木造平和教会(写真)を訪れたとき、日本人の老夫婦と出会いました。彼らはブロツワフからヤボールに到着、その後シビドニツァの木造平和教会を見学し、ブロツワフに戻る予定でしたが(すべて列車で)、「今日中にブロツワフまで戻れるかどうか分からない。」と不安そうでした。そのことを友人に告げると、「私の車でシビドニツァに行きましょう。ブロツワフに戻るのはバスの方が良いでしょう。彼らに伝えてください。」 老夫婦は大感激。降り際に「見ず知らずの方にこんなに親切にしていただいて、良いものでしょうか? どんな形でお礼をしたら良いでしょうか?」

 私の答えは「口頭でお礼を言うだけで十分です。」

 

 後で彼らの感激ぶりを話すと、「ポーランドではごく当たり前のことです。」と予想通りの言葉が返ってきました。ポーランドの小さな村のペンションに滞在しているときに、東北地震と津波のニュースが、その後、福島原発のことが大きく報じられました。すぐにポズナンのサーバスフレンドからメールが入りました。「家1軒無償で提供するから、奥さんを呼び寄せて、こちらで避難生活をしなさい。」と。

 

 8月上旬にカトヴィツェで野外ジャズフェスティバルを、8月下旬にはグダンスクでも野外フェスティバル(ワレサ元大統領の演説の後音楽)を、サーバスフレンドとともに楽しみました。

 

 ブダペストは何回行っても好きになれない都市ですが、田舎を回ってハンガリー自体は好きな国になりました。特にルーマニアに入る前の2都市でサーバスステイをして。