師走の訪問者   春日屋誠・治子

 昨年の暮れも押し詰まった頃、突然アメリカからメールが届いた。一週間後、サーバストラベラーとして滞在できないかと言う。しかも、どうやら私達夫婦宛の名指しのようだ。私がホストリストのパーソナル情報欄に趣味はカメラと書いたのが理由のようだ。同好の士として関心を持ったらしい。

 日本ではクリスマス以降に不意の訪問者を迎えるのは難しい。年末の掃除や正月の準備で慌ただしい時期は互いに遠慮するという暗黙の文化もある。しかし、息子二人は既に独立し、夫婦だけの我が家では普段から掃除をまめにする妻のお蔭もあって、特に年末だからといって取りわけて慌ただしいこともない。現につい一週間前に私も頑張ってガラス窓の掃除も終わったばかりだ。

 

 こうして私達は、一昨年の暮れにサーバスに入会して以来、三組目のトラベラーとして彼を受け入れた。 

 

 当日、駅で待ちあわせたVitalyは私より20歳も年下というのに、見事に禿げ上がった笑顔の優しい偉丈夫だった。

 道々聞くと、今はピッツバーグ在住だが、ウクライナ出身だと言う。ソ連崩壊の前後に家族共々アメリカに移住したと言う。

 しかも驚くことに、キエフ大学で勉強した日本語を見事に使いこなす。この後、私達は彼から色々な漢字の由来を逆輸入することになる。

 初日は私の得意料理であるハンバーグを振る舞った。彼は旨い旨いと言ってくれたが、実は彼の大好物は日本料理であることを翌朝知ることになる。

 ちょっと疲れがたまっていたのか彼は翌朝9時頃まで寝坊した。しょぼしょぼした目でおはようと挨拶する彼に妻が準備した朝食を説明する。典型的な一汁三菜の朝飯だ。流石に納豆は避けたが・・・。それを彼は一人でもくもくと食べて、暫くして「ご馳走様」と言う。

 私は盆を下げに行って驚いた。舐めつくしたのではないかと思う程、ご飯の一粒も残っていない。

 彼はお茶目な顔をして、“You don’t need to wash these dishes.” と笑う。

 今日の予定を聞くとまだ決めていないと言うので、鎌倉を案内することにした。

 まずは定番コース。段葛を登って鶴岡八幡宮へ行く。参道の下で彼は重そうなザックをおろして、おもむろに三脚を取り出す。カメラをすえて音声を吹き込みながら動画を撮る。妻から聞いた八幡宮の由来を喋っているようだ。この後も日本国中を回ってドキュメントを撮る予定だという。

 小町通りでは漬物屋がいたく気にいったようだ。薄塩の漬物を試食して、かえって腹が減った。彼は朝食を沢山とったからと遠慮するが、いいからいいからと言って、蕎麦屋に入った。蕎麦に加えて名物の葛餅をとる。Vitalyは箸を使いこなして、日本人でも取りにくい餅を器用に口に運ぶ。

 江ノ電に乗って大仏を見学したあと長谷寺に回った。説明書きがあると彼は立ち止まり、読める漢字を繋いで意味を理解しようとする。当然、時間がかかる。非常に楽しかったが、大分疲れた。

 

 翌日、またもや大寝坊した彼は慌てて田中会長に電話する。今日、横浜で会長と待ち合わせしてデイホストをお願いするという。

 記念の写真を撮り、慌ただしく再び旅立つVitaly。横浜で会長と会った後は、相模原の友人宅に戻り正月は彼らと伊豆に行き、その後、西日本を回ったあと北海道に飛んでスキーをして帰国するという。2ヶ月間の優雅な長期休暇だ。

 

 二日間の彼との会話で、自分が数年前に舘支部長とドイツでたまたま会ったのをきっかけとしてサーバスに入会したという話をしたこともあって、この一週間後にVitalyが舘さん宅にお邪魔することになるとは知る由もなかった。

 

 それにしてもVitalyは面白い男だった。あの知識欲には敬服するし、そのタフネスさは妬ましくもあった。

 入会以来、まず韓国の兄妹、ドイツの長期研修生、そしてウクライナ系アメリカ人と、それぞれの人たちと交流することができた。今年はどんな出会いがあるだろうとワクワクしている