「そうだ!インドへ紅茶を飲みに行こう」      2014年12月22日ー2015年1月10日  IY

 いきなりの休みができ 急に決めた旅行でした。


 

インドのホストは多くないが、本当に親切

返信があったのは3人だけでした。

携帯を持っていない私を不安に思って、携帯を貸してくださったり、バスのチケットの予約やホテルの手配までしてくださいました。助けられました。

 

デリーのホスト探しは困難でした。リストに載っている殆んど全部のホストに メールしたほどです。しかし返信があったのは1人だけでした。ホストは大学の事務局に勤めていました。(女性)。授業に出ることもあるそうです。昼間は仕事がありますから、私は1人でウロウロしていました。夕方 退勤時刻にわかりやすいところで待ち合わせて一緒に帰りました。息子さんはシフトで夜に働き、明け方3時半ごろ帰宅ということで 彼女は睡眠不足でかなり疲労しているようでしたが、夕食をしっかりつくってくれました。

 

アッサム

当日は濃霧のためデリーからの飛行機が3時間遅れました。ホストは空港勤務の管理職のようでした。勤務を終わりにして、空港に近い自宅に直行。奥様は大学の先生で、もう帰宅していました。このホストとは事前にメールで「アッサムの茶園に行きたい」と言ってありました。「茶園の有るところはホテルがないので 友人の茶園のバンガローに泊まれるようにして置く」という親切な返信でした。さらに そこまで行く長距離バスも既に予約してありました。シャワー(と言っても バケツ一杯のお湯)と早めの夕食を頂き、すぐバスターミナルへ連れて行ってもらいました。夕方7時ごろ出発、真っ暗な朝4時過ぎ目的地のバス停に到着、待つこと1時間半、やっとバンガローの車が来ました。バンガローという言葉から山小屋か、日本のキャンプ場にある掘っ立て小屋風の建物を想像していたが、いえいえ、そのバンガローというのは 州都に住んでいる茶園の持ち主が茶園・工場に来たときに宿泊する家のことでした。リビングとダイニングルームを囲むようにしてサンルームとバスルームつきの広々とした部屋が3つあり、専属の料理人兼お世話係が2人いて私は茶園主の知人と言う扱いでした。

 

モーニングteaに始まり、朝食・遅い昼食、ハイtea(いつも缶に入ったビスケットが付いてくる)そして遅い夕食で1日が終る。昼間は広い、広い茶園をぶらぶら散歩、村の中を通り過ぎあっちの茶園こっちの茶園へと散歩していました。工場も案内してくれました。宿泊費のことを切り出しても「You are a guest. So ,hospitality」というだけでした。おまけに できたての紅茶1Kgのお土産までいただきました。

2泊して またホスト宅に戻り 翌日、ダージリンへ夜行バスで出発、そのバスで偶然会った1人旅の日本人とその後4日間、ホテルをシエアして楽しく過ごしました。真っ白なヒマラヤの山々を眺めながらまったりと、ダージリンteaを堪能しました。これも偶然ですがNGOのボランテア団体から派遣されている日本の青年と会い、これから行くと言うダージリンにある日蓮宗の寺院へついていきました。「○○○○○○」を唱えながら太鼓を叩いてお勤めを約1時間、それから勧められるままに別室で ミルクteaを頂きながら日本人の住職さんから宗教の話を聞く。青年は家庭的に恵まれない子どもたちを世話する施設でインターシップをしているのだと言う。聞けば日本のお寺の息子さんと言う好青年でした。例え偶然であろうとも「人との出会い」こそ、旅の宝だと思いました。

 

バンガロール3人目のホストは広告会社に勤務の3040歳台の男性でした。

欧米それから日本もSERVASトラベラーとしての経験もホストとしての経験も有り慣れていました。

前もってメールで、世界遺産とニルギリ茶園に行きたいと伝えておきました。彼は茶園もあるがコーヒー園も有名だと言うので、計画変更。かれは実に手馴れた様子で、翌日には夜行バスのEチケットを用意してくださり、コーヒー農園のバンガローの予約(3食、tea or coffee付き1500ルピー・日本円で約3000円)、それから世界遺産のあるHampiの宿泊予約をしてくださいました。聞けば今は観光シーズンで、フェステバルの前々日でもあるので込み合っていたと言う。お世話をしてもらって本当にありがたかったです。おかげで またまた、コーヒー園、と言っても現地の人にとっては高地にあるリゾートでのんびり過ごすことができました。酷暑のインドでは、ダージリンもこの西ガーツ山脈にあるこの地も避暑リゾートなのだそうです。しかし、この季節の朝夕はとても寒くて寒くて毛布を3も枚かけて寝るほどでした。

 

ちょうどコーヒー豆の収穫の季節でした。農園主にコーヒー摘みの体験をさせてもらいました。現地の労働者と一緒に朝9時半から開始。木の下にブルーシートを敷いて、枝についているコーヒー豆のすべてを手でこそぎ取るのです。頭にスカーフを被って首にタオルを巻いても蟻がどこからか侵入、痛い、痒い。こそぎとったら麻袋につめて、道端に積んで、、、、、、。ブレイクには誰かが持参していた甘いミルクコーヒーを勧められました。おいしかった、、、、1時過ぎ、やっと昼休み、そこで労働者の皆さんは持参しているカレー弁当で食事。あんたも食べるかとチャパッテイを勧められたが、そこで農業体験は終了にして、ゲストハウスに帰って昼食を食べました。このような体験が出来るとは思っても見なかったです。これもホストのお世話があってのことです。

 

ホストとよい関係作りのために

、前以って何をしたいのか、どこへ行きたいのか連絡しておく。

 ホストは それなりにトラベラーのお役に立ちたいと思っております。

 

、気は心、お土産は持っていったほうがよい。

今回はかさばったが、童人形を持っていきました。(欧米人はその場では喜んでいるかのような態度を見せるが、趣味があわないらしく 迷惑そうですから 人形は持っていったことがない。)女の方にはちょっとした京都土産のような和風小物、お子さんがいらっしゃることが分かっている時はスナック菓子。シニアには煎餅類と緑茶。(かさばるがパックのほうがいいようです)、、、、、、、皆さんはどんなものをお土産に持って行きますか、、、、、、

 

、「手伝うことはないですか。」と必ず申し出る。

インドでは食器洗いや掃除は カーストの下の階級がするものという意識がまだあるようです。ですから「明日はメードさんが来るのか」と聞きました。バンガロールのホストの奥様とお子様は学校が休みなので、郷里に行っているというので、皿洗いをしました。

 

、その国の歴史を調べてから行く。

当たり前のことですが、なかなかできないですね。帰国してから調べました。

今回、有るホストからいきなりの質問、「あなたの知っているインドとは何か?」うう、、、、困ったね。あなただったら どのように答えますか?おそらくこのホストは毎回トラベラーに同じ質問していると判断したので、「私にとっては、、、、、、、、、、、、、ですが、ほかのトラベラーはどうですか」と聞いたら、ほぼ 同じでしたので、ホッとしました。しかし彼はインド独立抗争のことをもっと知ってほしい、これがねらいだったようです。

また紅茶で有名なダージリンもアッサムもニルギリも嘗てはうっそうとした森林であり野生動物の住処であったこと、そこを全て英国人は自分たちのために紅茶園に変えてしまったことを知らされました。ミーハーで紅茶を飲みに行った私の心境は複雑でした。

 

ここ数年、トラベラーの数が激減しているようですが、今回の体験を機に 今後少しでもトラベラーのお役に立てるようにしようと 改めて考えました。