スペイン巡礼紀行 前篇その3      春日屋 誠

  • 3日目 911日(金)ロンセンバージェス→スビリ(21.5km


ロンセンバージェスは修道院なのでルール順守は厳格で朝は6時に起こされる。ボランティアのおっさんと叔母さんたちが讃美歌を唄いながら回るのだ。もっともこの時間には殆どの人が起きだしているので目覚まし時計の役割よりはこのアルベルゲの風物詩というべきものだ。


妻はあまりご機嫌が良くない。「昨日はひどかった」と言う。何が?と聞くと両隣のいびきが凄かったという。特に敷居を挟んだ側はまさにライオンの隣に寝ている様だったと言う。妻はライオンの隣で寝たことがあるのだろうか?

「あれでは隣のブースの3人は一睡もできなかったんじゃないかな」と妻は心配する。

 私はベッドだろうと寝袋だろうと横になった途端に人事不省に落ちるのが特技なので全く知らない。むしろ明け方に隣のドイツ野郎のスマホが床のコンセントに差したままで10分おきくらいにピコピコと鳴るのが気になった。

「しかも腹立たしいことに当人は自分が迷惑をかけたことに気が付いていて早くから起き出して荷物持って逃げ出した」と妻は続ける。

 すると隣のドイツ野郎がごそごそ起きだして、「いやぁ~。昨日はうるさかったね。少しも寝られなかった」と言う。

 すると妻はすかさず「あなたはよく寝ていましたよ。すごいいびきで」と反撃した。

 

 昨夜のレストラン前にはまだ暗いうちから多くの巡礼者が集まっていた。

 前庭に置かれたテーブルに例のブラジル美人がいてそれをオリソンで一緒だった男性たち数人が囲んでいる。目の付け所は国際的に共通だ。

 ふと階段の所に小柄な若い女性が座っている。私は日本人だ!と直感して思わず「お早うございます」と日本語で声をかけた。彼女は驚いた顔を上げて挨拶を返すと「日本の方ですね」と嬉しそうに言う。

 広島から一人で来てこちらで韓国の友達二人と落ち合って巡礼を始めたばかりだと彼女はいう。20代前半に見えたので私が学生?と聞くと、「いえ。勤めていたのですが、ここに来るために会社は辞めました」との答え。今時の若者にしては珍しい。

 自慢じゃないが自分も彼女くらいの年の頃には損得抜きでしたい事し放題だった。しかしそれから40年後の今の日本はその頃に比べて随分と息苦しい社会になってしまったと思う。若者が冒険できない、失敗を恐れる世の中になってしまった。しかし、そういう中でもレールにのるのを拒否し自分に素直に生きようとする彼女のような人がいる。もっと多様な生き方が許容される世の中になって欲しいものだ。

 

 食事をすませた者から次々と出発する。スペイン国内ではここから巡礼を始める人も多く、「サンチャゴまで800km」と記された案内板の前で記念撮影しているのを見かける。でもこの表示は誇大だ。サンジャックからは800kmなのでここからだと少なくともそれより25kmは短い筈だと細かいことを思ったのは私だけだろうか。

 集落のはずれにあるバルで昼食用のパンを買っている時に数人の韓国の若者たちに挨拶された。閑古鳥旅行社の木村さんも書いているように巡礼路で会う韓国人には二種類いて日本人に親しく話しかける者とわざと無視する者の両極だ。

 バルを出て暫く歩くと小さな村に入った。白壁に赤い屋根の可愛らしい家が続く。アメリカの文豪ヘミングウェイが滞在したことで有名なブルゲーテだ。

 巡礼路は村の中心を貫くが早朝とはいえ村人一人見かけない。もくもくと歩く巡礼者が続く。

「ヘミングウェイか。『老人と海』くらいしか読んでないな。日本に帰ったら『日はまた昇る』でも読もうかな」とつぶやきながら、いたるところで私は足を止めてシャッターを押す。どこを撮っても絵になる町がヨーロッパには多いがここもその一つだ。

「ブエン、カミーノ!」と元気な声が飛んできてさっきの韓国のグループが抜いて行く。いつの間にか妻も私の前を行く。


 ヘミングウェイが釣糸を垂れたかもしれない小川を渡ると緩い下り坂が森に続く。

昨日の雨ですべりやすいが空気はひんやりと心地よい。しかし、森が切れると強い日差しがまぶしく体がほてる。せせらぎを見つけると多くの者が靴を脱いでくるぶしを川につけて冷やしている。その中にオリソンで同じ部屋だったオーストラリアの二人がいた。彼女らとは昨日から抜いたり抜かれたりが続いている。

 私達は昼食にはまだ早いと判断してそのまま歩き続ける。道は牧草地に入り所々で逃亡除けの扉を開けて通り抜ける。ここまで来ると馬の放牧は見られず牛の糞の匂いがたちこめるが牧草地の中を通らせてもらっているので文句は言えない。

 再び森に入りそろそろどこかで買ってきたパンをかじるかと思っていると折よく一軒のバルがあった。周辺に村どころか家も見当たらない所に一軒だけあるバルなので明らかに巡礼者相手の店だ。丁度、ザックを一度、下したい頃合いなので巡礼者で溢れかえっている。

 ふと見るとオリソンで同じ部屋だったブラジル人夫婦が長椅子を占拠している。奥さんが椅子に足をもたせかけてマメの手入れをしているらしい。旦那さんは呆けた様に見つめている。マメは巡礼者の大敵だ。

 さっき買ったパンは非常食としてとっておくことにしてここでビールと昼食をとることにした。カウンターには数種類のスパニッシュオムレツが並んでいる。そのうち一番左端のやや緑がかった奴が一番売れ行きが良くて二切れだけ残っている。こういう時の鉄則で私は迷わずそれを選んだ。

 正解!ほうれん草入りのオムレツだった。香ばしいほうれん草と卵の相性が抜群だ。ビールにも合う。

 日本に帰ったら私は早速に女子禁制の料理クラブの当番が決まっておりメニューとレシピを作らなければならない。そこの友人達にはスペイン巡礼の話を吹聴しているのでメニューはスペイン料理、メインはスパニッシュオムレツというのは決めていた。スパニッシュオムレツは自分でも何回か作ったことがあるがほうれん草入りというのは知らなかった。日本に帰ったらクックパッドでほうれん草入りのレシピを検索しよう、なんて私が瞑想にふけっていると妻がオムレツを頬張りながらザックをなにやら探っている。

 やがて妻は日本から持ってきた小さなゴミ袋の30枚入りパッケージを取り出すとさっきのブラジル人夫婦のところに行きなにやら説明している。

 また妻のおせっかいが始まった。昨日も登り坂であえぎながら登る年長の男性に自分のストックを貸そうとしていた。その人はアンチストック派らしく丁重にお断りしていた。

妻はゴミ袋を足にまいてその上から靴下を履けと言っている。そうすることで足がほどよく滑り一か所に力が集中しないのでマメが出来にくいという。そのうえ、薄いゴミ袋は時間がたてば穴があくのでむれないという利点もある。日本でどこからか仕入れて来た知恵だ。

 旦那さんのほうは「グッドアイデアだ」と言って感心する様子だが奥さんは躊躇している。見ると針と糸を持参しておりそれでマメを縫おうとしている。ブラジルでのマメの治療法なのだろうか。しかしその後、妻に聞いた話では両足ともマメだらけでそのいくつかは破れて血が噴き出していたそうだ。その日以来、その夫婦に出会うことはなかった。可哀想だが途中リタイアしたのだろう。

 ちなみに私達は二人共、最後までマメは一つも出来なかった。これは五本指ソックスのお蔭だと思う。私達は五本指ソックスをまず履いてその上に登山用のソックスを重ねて履いて歩いていた。

ジムではいまや足の五本の指を一本、一本揉みほぐすことからストレッチを始めるところが多い。普段使わない足の小指や薬指にしっかり血を通わせ五本の指をそれぞれ独立して動かすことで足裏が均等に力を受ける。これで一日の歩行距離の限界が飛躍的に伸びる筈だとトレーナーは説明した。五本指ソックスを履くことでそれを実現できるのだ。五本指ソックスはカップヌードルに次いで世界に誇るべき日本の発明だと思う。

 

 スビリに着いたのは3時を過ぎてしまった。赤毛のドイツ美人のご推薦の新しいアルベルゲに行くが満員。もう一つの公営アルベルゲも満員だった。

 広島から来た女性とすれ違う。彼女も友人二人とねぐらを探している。

 私と妻は手分けして部屋を探すことにした。こういう時、ヒットするのは妻の方と決まっている。

 バルの給仕にいいホテルを知らないかと聞いたら隣のベンションを紹介されたという。

そこは大家さんが最上階に住み旅人に貸すのは3階に3部屋。トイレとシャワーこそ共有だが日本の高級ホテル並みの広さのベッドルームを占有できる。三日ぶりに広いベッドで足を伸ばして寝ることができる。

 困ったのは大家の叔母さんが全く英語が分からない事だ。宿泊料がはっきりしないので問いただすがワン、ツー、スリーも分からないのでは話が通じるわけがない。

 私達の後に3人のドイツ人が隣の部屋に転がり込んできた。夫婦と男性の友人一人という変わった組み合わせだがその友人の方が片言のフランス語を話せて大家も多少、フランス語を分かりそうなので彼を通じてなんとか宿泊料を聞くがはっきりしない。それでもまあこんなものだろうと適当に私達もドイツグループも分かったふりするしかなかった。結局、翌日になって支払ったのはアルベルゲ二人分に少し足しただけの金額だったと記憶している。それで部屋を占有できてゆっくり寝られるなら安いものだ。

 

 夕食をとりに隣のバルに行くと、なんとオリソンのテーブルで向かい合っていたカナダの女性二人組にばったり会った。

 隣に座り今日の宿泊先を聞くと、まだ見つからないとの答え。彼女たちのスピードは私達より速いがいたる所で写真を撮ったり教会を見学していてこんな時間になってしまったと言う。もうすでに7時に近い。これから6km先の隣村まで歩く予定だと言う。いくら昼が長いスペインでもたどり着く頃には日はとっぷり暮れているだろう。それに隣村でベッドが見つかる保証もない。さすがにそれは無茶だという話になり、私達にペンションを紹介した給仕にもう一度、奔走して貰って彼女達は隣村のアルベルゲを予約してタクシーに乗り込んで行った。

 

<参考>

 

○アルベルゲに泊まるなら

 目的地への到着予定時刻を2時に設定している理由は日本語版ガイドブックにアルベルゲの宿泊受付け開始が2時との記載があったためである。しかし、実際にはこれはアルベルゲによってまちまちでいつでも受け付けている所もあれば受け付け開始時刻を定めている所もある。ただしベッドが先着順であることは共通していて早く着いた者ほど部屋の奥の休みやすい所を確保できる。満員の場合はあっさりと断られる。なお出発は遅くとも8時だし体調不良など特別な理由がない限り連泊はできない。

 

○ペンション、ホテルなど

 公営アルベルゲは格安だがプライバシーが確保できずやはり周りに気を使う。いびきに悩まされることも多い。だから余程、山小屋などで鍛えた剛の者でないとアルベルゲだけを利用して巡礼を続けるのはつらい。ヨーロッパのホテルやペンションの宿泊料は部屋単位なので二人連れならアルベルゲに泊まる場合に比べてもそれほど大幅な出費増にならないのは助かる。

 


  • 4日目 912日(土)スビリ⇒パンプローナ(21.7km

 

 スビリから先は緩やかな下り坂だが森に囲まれた細い道で展望が開けず我慢の行軍だ。川沿いなのでなんとなくじめじめしており時々、10cm近くもあるなめくじを発見してはぎょっとする。これで雨だったりしたら泣きたくなる。

しかもその細い道を時々、自転車野郎が追い抜いて行く。概ね下り坂なので結構なスピードで飛ばしてくる。後ろからチリンチリンと鳴ったと思ったら振り向く間もなく肩先をかすめて行く。奴らは大抵、2~3人のグループだ。操縦には自信があるのだろうがこちらだって思わずよろける事がないとも限らない。一応、皆「ブエン、カミーノ!」と挨拶していくのでこちらもにこやかに声を返すが内心は自動車道を走れよと思ったことが一度や二度ではない。

私は日本を発つ直前に前支部長の舘さんを府中のご自宅に訪ねた時のことを思い出した。舘さんは数年前にサンジャクからサンチャゴまで自転車で走破しているがその時は巡礼者の歩く道はぬかるんでいて危険なので多くは自動車道を走ったそうだ。

巡礼路の殆どの区間が国道と平行している。近いうちに自転車での走行が制限されるかもしれない。

 

2時間ほど歩くと少し広いじゃり道に出た。暫く登りが続きそうだ。ここならザックを下しても自転車の邪魔にはならないし不気味ななめくじもいないので小休止をとることにした。バナナを頬張っていると見慣れた大柄の女性二人が登ってきた。オリソンから一緒だったオーストラリアの女性二人組だ。

Hello, again!」昨日から何度も繰り返している挨拶だ。

 彼女達も足を止めて言葉を交わす。オリソンに居たので私達がここに来た事情、今年が結婚40周年だということを知っている。彼女らの方からゲイルとヨナだと名乗り私達の名を聞いた。HARUKOMAKOTOだと教えるが母音ばかりの日本語の発音は外国の方には難しい。そこで彼女らは勝手に私達をHarryMacと呼ぶと宣言した。

 一昔前のテニスプレーヤーであるナブラチロワに少し似たゲイルが自分のザックのポケットから何やらを取り出すようにヨナに言っている。やがて彼女は白いペンダントを受け取ると「Peace for you」と言って、妻に差し出した。

 真っ白なペンダントにはPEACEの文字が浮き出ている。どうやらゲイルはそれをいくつも持って行く先々で出会った人たちにメッセージをそえてプレゼントしているようだ。

 妻が頬を真っ赤に染めて感激していたのを今でも鮮明に覚えている。教会のミサでは毎回、「主の平和を」と言って回りの人と祝福を交わすそうだ。それと同じ意味をそのペンダントは持っているらしい。


 

 ヘミングウェイが「日はまた昇る」の舞台として描いたパンプローナはスペインに入って初めて訪れる大都会だ。しかし、そこまでに至る道は昔は危険と隣り合わせだったという。今、自分たちが歩いている周辺には山賊が出没し多くの巡礼者が命を落としているのだ。

 勿論、今はそんな面影はなく静かな森の中を進む。その森の中で一休みしている時にイタリアから来たという長身の男性と会った。彼の身長は2メートル近くあるが面白いことに自分の頭より更に図抜けた一本の杖を携えている。私は前々日の夜、ロンセスバージェスでこの馬鹿長い杖がベッドに立てかけてあったのを見ている。自然の流木をどこからか拾ってきたと見える。

 彼は私に近づくと日本から来たのか?と確かめてから自分の名刺を差し出した。どうやら彼は近年、大地震に見舞われたネパールを支援する個人サイトを立ち上げたようだ。

 ネパール支援なら私もサーバスを通じて行っているので自分の名刺を返した。ボランティアで国際交流活動をしている彼でもサーバスのことを知らなかった。どうやらサーバスの宣伝不足は国際的らしい。

 しばらく膝を痛めたと言いながら半端でないリーチの長さの彼と同行した。

 やがてパンプローナを囲む巨大な城壁が見えてきた。門を抜けると町の様相が一変し、車が行きかう都会のただ中に出る。都会からちょっと離れるとうっそうとした森に囲まれた村が続くのに突然と姿を現す現代的な都市との落差は大きい。

 イタリアの青年と別れ公園脇のアルベルゲを訪れたが満員。町中に戻り何人かに聞くがなかなか次のアルベルゲが見つからない。するとバルのテラスで友人と話す例のブラジル美人を見つけた。そこで彼女に近くのアルベルゲを尋ねていると一昨日、私達を道案内したスイスの青年が現れた。どうやら彼女の回りには巡礼仲間が集まっているようだ。

 再び彼の案内でアルベルゲにたどり着くと驚いたことに隣のベッドに昨夜、同宿だったドイツの三人組が先着しているではないか。この広い町の巨大なアルベルゲで二日続きで隣り合わせるとは不思議な偶然もあるものだ。

 パンプローナは美食の町としても有名だ。その夜、初めてタパス(スペインのバルの付け合せの一品)を堪能した。

 その後、大聖堂を見学して町を散策していると広島の彼女と再会した。あの後、やはりカナダグループと同じ隣村のアルベルゲまでタクシーで行ったという。

 私達の名前を聞いたので伝えて別れたあとにサーバスの名刺を渡さなかったことに気が付いたが後の祭り。その後、やさしい笑顔の彼女に再会することはなかった。巡礼路では一期一会の繰り返しだ。

 

 その夜の騒がしいことと言ったらなかった。大体、夜9時には寝るのが常識なのに若者連中が騒いでいる。公営アルベルゲでは夜間、スタッフが不在になる所が多い。それを言いことにいつまでもおしゃべりを止めない不逞の輩はどこにでもいる。

 そのアルベルゲは吹き抜けになっていて下のフロアの丁度、私達の真下になるあたりから男性の声が響いてくる。どうやらここで会った女性数人と大きな声で談笑しているらしい。女性が何か言うとその度に、「ヤア、ヤア、ヤア」と相槌打つのが気に障る。巡礼路には若い男女も多く中にはナンパ目的の奴らもいる。現にこの数日後にバルで会ったドイツの男性とベルギー女性のカップルはつい一週間前にどこそかで会って以来、ずっと一緒に行動しているとのことだった。

 

 流石に10時には彼等も解散し、やっと眠りに落ちたが日付が変わってまもなく2時近くに目が覚めてしまった。疲れている分、爆睡するがそうすると睡眠時間が短くなる。この先ずっと暗いうちに目が覚めて二度寝できない日が続いた。

 当然やることがないがまさか起きだすわけにもいかない。そこでスマホを取り出し日本にメールを打つことにした。

 モニターの光が漏れないように注意しながら長文を打ち込む。そこでオリソンでの一件を伝える。スペイン報告第一報だ。

 

<参考>

 スペイン巡礼を試みた人のうちのリタイア率がどの程度かは想像できない。しかし、リタイアの理由には怪我や故障、事故などによる肉体的な要因だけでなく精神的な要因も相当数あると思われる。

 一番難しいのがアルベルゲでの過ごし方だ。ここで快適に過ごせるか否かが巡礼成功の鍵だと言っても過言ではない。

 みずからの経験から私なりに快適なアルベルゲ生活のコツだと思うのは次の三つだ。

  1. とにかく人よりも早く眠るようにする。

  2. 欧米流の挨拶の勘を身に付ける。

  3. シャワーブースでの振る舞いを確立する。


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コメント: 1
  • #1

    東本泰行 (金曜日, 30 10月 2015 09:56)

    写真をもっと見てみたいです。