スペイン巡礼紀行 前篇その5    春日屋 誠

  • 7日目 915日 シラウキ⇒エステージャ

     

シラウキを抜けるのに手間取った。標識が見つからない。大体、町全体が丘に掘った迷路のようなものなので北も南も検討がつかない。流石の英文ガイドブックでもそこまで詳しくない。そこでふと離日直前に読んだ閑古鳥旅行社の例の紀行文を思い出す。確か建物の中を抜けるような記述があった。そこで朝まで狂乱が続いていた広場に面した建物のアーチを覗いてみる。昨夜の出し物の残骸に隠れてうっすらと黄色い矢印が見える。ほたて貝の道標の代りにこうしてペンキで書きなぐったような矢印も実は巡礼者のためなので見逃せない。かろうじてパンプローナの二の舞を避けることができた。


一時間ほど歩いた所で石畳がしばらく続く。ローマ帝国の支配下にあった時代に整備されたものでこの付近に多く残されている。ただ余程、歴史に関心がある人でないとそれほどの感慨をもたないだろう。案内板も何もなく事前に知らなければ、なんか歩きにくい道だなと思うだけで終わってしまう。その点、我がトレーニングロードの箱根路はうるさい位、いく先々に歴史を解説するボードがあったことを思い出した。

石畳が終わって舗装路に出ると川を大きく迂回し、橋を渡ってロルカの町に入った。

閑静な住宅地だ。どの家も道から10mは奥まった所に深い生垣に囲まれている。

その庭先に立って一人の男性が私達を大声で呼んでいる。呼びかけながらさかんに右手に立つ木を指す。妻はそれがイチジクであることに気が付いた。たわわに実がなっているのが遠目からも分かる。どうやらここで休んでイチジクを食べて行けと言っているらしい。

私はあまりイチジクにいいイメージを持っていなかった。妻の実家で食べたがなんか青臭くて美味しくなかったのだ。

そのイチジクは日本のそれに比べて一回り小ぶりだ。

「間違って皮をかじると唇がしびれるよ」と妻に注意され、二つに割って果肉を指ですくって舐めた。まるでジャムだ!口いっぱいに甘味がひろがる。ざくざくした食感も面白い。

おじさんが次から次へと取って来るのでたちまち3つたいらげた。

 どうやらここでB&Bを経営しているようだ。自慢のイチジクをゲストにサービスしているのだろう。今度はトマトを持って行けという。それを持ち歩くのは少し難しいので丁重にお断りした。

 

 ロルカの町を抜けるとまた歴史を感じさせる古道が続く。近代的な街と隣り合わせたひなびた山間との対比が面白い。稜線には代々、引き継がれた野良仕事の成果である畑が繋がり、様々な作物がそれぞれの色合いで織りなし遠くから見るとパッチワークのように広がっている。

 丘を越えて真っ直ぐ伸びる巡礼路には私達二人の姿しかない。聞こえるのは鳥のさえずりだけ。私はどこまでも歩いていける気がした。


【ずっとこんな風景が続きます】


【打ち捨てられたような教会】

 エステージャのアルベルゲにチェックインして明日の朝食を調達しながら町を見学する。エステージャとは現地の古い言葉で星を意味するという。それだけ輝かしい歴史を持った町なのだ。

 立派な階段を備えた荘厳な教会が丘の上に建っている。聖ペドロ・デ・ラ・ルア教会だ。

見学者用のエレベーターから初老のカップルが出て来た。私が教会の写真を撮っていると話しかけてきた。

「教会はこの時間は閉まってしまったが7時にミサが始まるのでその前に見学できる。見逃せない美しい教会だ」と言う。

 彼等はドイツ人だが文法に忠実にゆっくりとした英語を話すので分かりやすい。いかにもドイツ人らしい几帳面さで教会内の彫刻の美しさ、何時から見学できるかを何度も説明した。

 

アルベルゲに帰ってから洗濯物を持ってランドリーに行った妻が手ぶらで戻ってきたので私はどうした?と聞いた。

「男の人が洗濯物を預かってここは自分がやるからあなたはリラックスしてればいいと言うの」と妻は答えた。

 その男なら私も知っている。チェックインしてクレデンシャルにスタンプを押してもらっている時に見かけた。年齢不詳で髪はボサボサ。どうやらここで下働きしているらしいが外で見かけたらホームレスにしか見えない。しかも、うがいをする時のようなひどいしわがれ声だ。多分、酒と煙草の飲み過ぎで声帯がつぶれている。

 乾燥機にかけて出来上がったら部屋まで届けるというので妻は二人分として10ユーロ渡したと言う。全ての宿泊客の洗濯を引き受けているらしい。巡礼者の中には1ユーロでも余分な金は使いたくないぎりぎりの旅を続けている人もいて必ずしも全ての人が有難がっているわけではなかった。だけどスペインの田舎に働き場所は少ない。巡礼者の増加が少しでも現地の人の糧に繋がるように我々も協力できることは協力したい。そうでなくとも現地の方にはさんざんお世話になっている。足跡だけ残して立ち去るのは申し訳ない。

 

 ドイツの夫婦が言う通り、ペドロ教会の装飾は素晴らしかった。ただ私は歴史は好きだが建築史となると弱い。その教会の美しさを伝えようとしても乏しい知識ゆえにただ素晴らしかったとしか言えない。そこでご当人に許可を戴いているので「閑古鳥旅行社」のサイトから孫引きすると中庭から見た教会は『ロマネスク様式をベースにゴシック様式が混在している』とのことだ。

 う~ん。もう少し勉強しておくのだった。


レストランでビールを飲みながらペリグレムメニューのサービスが始まるのを待っている時にデンマークから来たという女性と知り合い、同じテーブルに座った。

 私達は予定通りリーズナブな値段のペリグレムメニューにしたが彼女はステーキを注文した。欧米人にとって体力勝負の巡礼路に肉は欠かせない。

 彼女はドイツと地続きの半島部に住んでおり話の様子だと田園の中の一軒家らしい。

 楽しく会話をかわしていたが、私が「そのステーキどうですか?」と聞くと、彼女は顔をしかめて「生焼けだ」と言って、フォークとナイフを置いた。

黒人のウェイターが皿を下げに来た。彼女のステーキが半分以上残っている。普通、日本では「お済みですか?」と聞いて、そのまま黙って下げるだろう。

 しかし、彼は「どうした?何か気に障ったか?」と聞いた。

 妻が生焼けであることを示す。ウェイターは了解したようでそのまま下げて行った。

 これで終わりだと思った。だから三人共、デザートを待っていた。

 暫くして彼は再度、ウェルダンまで仕上げた皿を持って来て、「これ位がお好きですか?」と言ってデンマーク女性に差し出した。彼女は笑顔で礼を言って再びナイフを取った。

 たったこれだけの事に私は感心した。こちらではレストランに限らずサービススタッフがお客に対しても率直に主張する。あくまで売る側だろうと買う側だろうと水平的な人間関係だ。レジでお釣りをもらった客が「Thank you」と言い、それに対して売り子が「You’re welcome」と返す。

 それに対して日本のゲスト側が上、サービス側が下という垂直的な人間関係に私は違和感を持っている。デパートの行き過ぎた「おもてなし」、コンビニやコーヒーショップの画一的なサービストークは気持ち悪い。

 帰り際、私は昔プロ球団の近鉄にいたブライアントという野球選手にそっくりなそのウェイターにチップを渡し、「You’re good waiter」と言うと、彼は握手と抱擁を返す。

 そのあと、妻もチップを渡し「貴方のお蔭でいい食事ができた」という意味のことを伝えると、更に感激した彼は妻の頬にキスを返した。それはちょっとやりすぎじゃないか?と私は思った。

 

 アルベルゲに戻るとちゃんと私達の洗濯物が届いていた。

 この日で巡礼を初めて一週間が無事過ぎた。日本を発つ前に私は四国巡礼経験者の友人に最初の一週間が勝負だと言われていたので最初の関門を通過したという安堵感もあった。

相変わらず足首は痛いが一日終わっても疲労感はない。徐々に体も慣れてきたようだ。

 


 

  • 8日目 916日 エステージャ⇒ロス・アルコス(21.5km

     

アルベルゲを発とうと下に降りたら洗濯をしてくれた男性に会ったので妻が別れを告げた。すると彼はズボンのポケットから何やら取り出すと「For you」と言って妻に差し出す。

それは針金細工だった。彼の手作りに違いない。よく見ると巡礼者とその足元にカタツムリらしきものを形作っている。カタツムリのようにゆっくり歩けという意味だろう。ペンダントに次いで妻が貰った二つ目の巡礼の贈り物だ。


 

 最近はエステージャの町を出た巡礼者の多くがある所に寄り道するようになった。町から僅か3kmの距離にあるイラーチェ修道院だ。そこでは朝からワインをただで飲めるのだ。

ただ巡礼路からはそれているので道標があてにならない。そのうえ町はまだ暗く案内板を探すのも一苦労だった。

 道の反対側をカップルが歩いていたので信号を渡った。日本人の夫婦だった。四国から来ていると言う。彼等もイラーチェに寄って行くと言う。

 案内板とガイドブックに注意しながら四人で歩いた。彼等は私達より二回り位、若く見える。なんと奥さんは3か月前に足の甲を骨折してまだボルトが入ったままだと言う。ご主人は一旦諦めかけたが奥さんがどんなことしても絶対行くと主張したらしい。どうして今しかないかというとご主人が前の職場を辞めて心機一転の機会だからだとのことだ。

四国のお遍路の話になった。四国でも巡礼した証しとして寺でスタンプを押してもらうがなんとポンと押すだけなのにお金を取ると言う。宿もアルベルゲとは比べ物にならないくらい高い。四国巡礼路も世界遺産登録を目指していると聞くが、今のやり方をあらためない限り絶対に無理だと私は思う。

 

 イラーチェ修道院の門扉脇に備え付けられた樽の蛇口からワインをカップにつぐ。これから20km歩くのだから当然、一杯だけだ。ふと同行した夫婦を見ると、奥さんが指をワインに濡らしてそれをご主人の唇に当てている。

 私は思わず、「ご主人はお飲みにならないのですか?」と聞いてしまった。

「好きで飲みたいのですが、ちょっと病気があるものなので」と彼は答えた。

 奥さんはご主人をせかすようにして「それではお先に。ごゆっくり」と言って先を急いで行った。

「あれはアル中だったんだね」と、二人の影が消えてから妻が言った。

 恐らく会社を辞めた理由もそれだろう。様々な人々が様々な理由でここに来ているのだと改めて感じた。


 ここはワインの名産地らしく巡礼路はぶどう畑の中を進む。まだ収穫前なのか熟した葡萄が誘惑する。時々、一粒摘まんで乾いた口に頬張るのもこの道の楽しみだ。

 そういう気晴らしはあるが平坦な道が単調に続く。近くを国道だけでなく高速道も並行して走っているので車は滅多にこない。代りに巡礼自転車が目立って増える。

一時の方向にピラミッド型の独立峰が見える。稜線が整った曲線なのに山頂だけ異様に盛り上がっているのがさっきから気になっている。巡礼路は山の裾をかすめるので徐々に山頂のそれが大きくなる。巨大な岩のようにも見えるが周囲には全く岩場らしきものはないので城跡なのかもしれない。コンパクトデジカメを一杯にズームアップして撮ったが残念ながらはっきりと判別できない。帰国してから例の閑古鳥旅行社のサイトで確認したらなんとバッチリ!城跡が映っているではないか!同じ道歩いているのに・・・木村さんはどんなカメラを持っていたのだろう?こういうことが有ると愛機の一眼レフを持って行けなかったことが残念だ。

それにしても映画のロケにも使えそうな遺跡なのにガイドブックにはなんの記載もない。この程度のものならざらに有るからなのか。

 

ロス・アルコスは小さな町なのでレストランは広場に集中している。陽がいつまでも高いこの季節は皆、オープンテラスで食事している。そこで二組と続けざまに再開した。

まず土産物屋から出て来たアルゼンチーナ二人とバッタリ。

「やあ会えて良かった。今日は風が強くて大変だったね」と派手な方が言う。

 折角だから一緒に食事しようと広場に並ぶテーブルの空席を探すとそこにエステージャで教会を勧めてくれたドイツ人夫婦がいた。二日前にたった5分程、立ち話しただけなのに何か非常に懐かしい。これも巡礼というステージに共に立った者同士の連帯感なのかもしれない。

 ドイツの夫婦は食事も途中なのに私達を認めるとわざわざ立ち上がって歩み寄りヨーロッパ式の再会の挨拶をした。つまり頬をよせ両手で抱擁する。これは日本人にはちょっと気恥ずかしい。テラスには大勢の客がおり、南米系の女性達やドイツのいかつい夫婦と抱擁する我々、東洋人をもの珍しそうに見ていた。

 

その日の晩、アルベルゲも寝静まった頃、日本の友人からメールが届き安全保障関連法案の強行採決で日本は大荒れだということを知った。彼も翌日、国会前のデモに行くという。

[こっちは信じられないくらい平和です。皆、巡礼に来て頭冷やせばいいのに]と私は返信した。

 

【参考】

日本で準備していた時はスマホの充電と通信環境を心配していたがそれは全く杞憂だった。

大抵のところでWi-Fiに接続できたし充電も可能。ただしプラグの仕様が日本とはことなるのでC型のアダプターは必須だ。