スペイン巡礼紀行 前篇その6    春日屋 誠

9日目 9月17日 ロス・アルコス⇒ビアナ(18.6km

 

 当然なことだが巡礼路は基本、西に伸びる。だから朝日は巡礼者の背中から登る。まだ太陽の位置が低く、自分自身の影が長くサンチャゴに向かって伸びるシルエットはどのガイドブックでも定番のショットだ。


荷は日に日に重く感じるようになった。羽田で計量した時、私のザックは7.8㎏、妻のそれは7.4㎏。縦走時に比べたら随分軽く感じたのでこれ位だったら楽勝と考えていたがだんだんと腰が重くなってきた。肩もすれて痛い。

巡礼路では余計な物は紙一枚でも持ちたくないと言われていたのを思い出す。私は少しでも荷を軽くしようと昨夜のアルベルゲにCW-Xを置いてきた。昼食用に買ったパンの包み紙にむりやり押し込みトイレのごみ箱に捨てたのだ。CW-Xは登山家の方ならご存知のアイテムで脚への負担を軽減させるタイツだ。ただたいした急坂のないここでは必要ないと判断した。1万円以上するタカ物だが仕方ない。

妻もとっくに捨てていた。初日、オリソンへの登りで気持ち悪くなったのはCW-Xが腹を締め付けるからだったと彼女は思っている。

もっかのところ妻の最大の悩みはアルベルゲではなかなか充分な睡眠がとれない事だ。勿論、いびきが主因でこれは私が犯人であることもある。その上、スペインの週末は最悪だ。明け方まで通りや広場でよっぱらいが騒いでいる。

2年前、私達はグループツアーでスペインを回った。金曜日の夜の事、参加者の一人があまりに外が煩くて寝られないから注意してくれとフロントに電話したら「今夜は金曜日だから当然だ」と言われたそうだ。

 

明日は金曜日、週末に備えて睡眠薬を買い足そうと途中の村の薬局に寄った。しかし、女主人に英語が全く通じない。英語に自信がある妻がMedicine for falling sleep と日本の中学生でも分かる単語をつなげても首をかしげるだけ。

それじゃあと妻はペンを取り出して手帳に子供が寝ている絵を描いて彼女に見せたら、途端に笑顔でシー、シーとか言いながら薬を差し出した。なかなか語学力が身につかない場合は絵を勉強した方が実践的かもしれない。

そのトレスという村にはテンプル騎士団によって12世紀に建てられたという八角形の聖墳教会が残されている。こぢんまりとしたドームだけだが小さな村にポンとそっけなくこのような古い建物が残っていることにスペインの地の歴史の深さを感じる。


昼食で寄ったバルでチリの大地震のニュースを知った。既に太平洋沿岸に津波が押しよせるという噂がたっているようで、私が日本人だと知った巡礼者から「福島は大丈夫か?」と聞かれる。地震→津波→フクシマという図式がすっかりインプットされているようだ。

 

ビアナでは運良くペンションを見つけることができた。町外れにあるのでそこまで足を伸ばす人は少なく、四階建て一戸建ての二階を占拠できる。

ペンションのオーナーは初老の男性。クレデンシャルにスタンプを押して貰う時に見た彼の横顔が誰かに似ている。タランティーノの映画「インゴリアス・バスターズ」で極悪なナチス将校に扮した俳優だ。

彼が鍵束を渡す。輪っかに三つ付いている。一つが玄関の鍵、二つ目がフロア、最後が部屋用だ。これが難関なのだ。まずどの鍵がどこの鍵か覚えようがない。3回試してやっと鍵穴に入ってもどういう訳か引っかかって回らない。どこのペンションでもそうだったがこの後、一週間後にもっと酷い目に会う。

なんとか部屋に入れてもくつろぐ間もなく洗濯をしなければならない。いくつかの下着も捨てて来たので替えは一枚しかなく毎日の洗濯が欠かせない。シンクに下着とTシャツを放り込み粉洗剤を振りかけて水をかけながら手で揉む。いい加減なところで水を止めてぎゅうぎゅうに絞り、床にタオルをひき洗濯物を乗せてロール巻きにして、足で踏みつける。これでやっと洗濯紐にぶら下げることが出来る。本当に巡礼も楽じゃない。山歩きの常識として汗拭き用のタオルを私は二枚も持って来たが、スペインは乾燥した大地。昼間でも殆ど汗をかかない。しかしそのタオルもこんなことに役立つとは知らなかった。

 

数少ないバルで二日続きのアルゼンチーナとドイツ夫妻との再会があった。派手な方の

アルゼンチーナと私達夫婦が共に11月生まれで、しかも彼女の息子の誕生日が私と同じと知り盛り上がり、彼女が「私と同じであなた達もオポチュニストでしょ?」と言って大笑いしている所に夫妻が現れたのには本当に驚いた。

 小さな村に巡礼者が溢れるのでバルは大忙し。しかもウェイターは一人だけなので注文を聞くのがどうしても遅れる。

 夫妻にメニューとして手書きのメモをウェイターが渡したまま厨房から出てこない。

 いらいらした奥さんが手っ取り早くペリグレムメニューにしましょうと言って、一品目を頼む。

 夫妻はお金持ちらしく宿泊先は全てホテルを予約してあると言う。しかも荷物はトランスポーターに頼んでいるので軽身だ。今回はブルゴスまででドイツに帰るとのことだ。

 ヨーロッパの巡礼者は毎年でも気軽に飛んで来れるので細切れに歩く人たちも多い。

 いくら待っても夫妻の二品目が来ない。私達はとっくにデザートに取り掛かっている。

 ついに奥さんが切れて、出ましょうとご主人に言った。ご主人は私達にすまなそうな顔をするが彼も、「ここのウェイターはなっていない。第一、英語もしゃべれない」と文句を重ねる。

 しかし、原因は彼等にある。ペリグレムメニューを頼むとウェイターに言わず一皿目しか告げなかったので単品注文だと思われたのだ。

 夫妻とも高潔な人たちだったが残念なことにアングロサクソンに有りがちな人を見下すところから抜け切れない。

 後で妻が言った。

「巡礼路では貧しい人が神を見るというの。私は何度も見ている。でも残念だけどお金持ちのあの人たちはここで神に会うことはないと思う」

 妻がここで会った神とはオーストラリアのゲイルとエスティージャのあの下僕だ。

 この後も妻は何人かの神と会った。

 

<参考>

重い荷物を運ぶトランスポーターサービスがある。今年の初め、サーバストラベラーとして我が家に泊まったフランス人女性もスペイン巡礼をした時に腰が悪いのでこのサービスを利用している。彼女はそれでも一週間しか歩けなかった。それだけ過酷だからと言って盛んにこのサービスの利用を勧めて帰った。

しかし、思い荷を背負ってこそ巡礼だろうという考え方もある。

私達は結局、最後まで利用しなかったので以下は伝聞である。

 まずこのサービスはアルベルゲから次のアルベルゲだという事。ペンションには運ばないらしい。ところがアルベルゲを予約することは難しい。人数制限をしているのだ。だから次のアルベレゲに着いてもそこに泊まれる保証はなく、自分の荷物を探し回っている人を何度も見たと私と同じ頃にスペイン巡礼をしていたサーバス入会希望者に聞いた。

 それでも利用する場合はまずアルベルゲにチェックインしてから次のアルベルゲまでのトランスポーターの連絡先をスタッフに聞くしかない。


 

  • 10日目 918日 ビアナ⇒ナバラッテ (22.1km

 

 ペンションを出る時にまたひと悶着があった。鍵を返そうと下に降りても誰もいない。がらんとした玄関に鍵の置き場所がないし第一にドアが開けっ放しで鍵を置いたまま立ち去る訳にもいかない。

 仕方なく道に出て周囲を見回し、誰か呼ぼうとベルを押したら四階の窓からこちらを覗き下ろす老婆がいる。

「鍵はどこに返すのか?」という意味のことを英語で言うが、勿論、通じない。老婆は何やら叫んでいる。足が悪いらしく下までは降りて来られないらしい。

 こちらから上がって行くしかないのか?しかし、馬鹿馬鹿しい。

 どうしたものかと困惑していたら、老婆が身振りで行っていいと示し「アディオス」とも言っているようだ。

 玄関に鍵を置きこちらもジェスチャーでアディオスと返すと彼女もやっと笑顔を見せた。

 鍵は部屋に置いておけばいいということはこの後のペンションで教わった。

 それともう一つ、後で気が付いたのはこの地はまだバスク地方だということ。一週間以上歩いてもまだバスクなのだ。バスクは名ばかりのスペインで独自の文化を持った自治地帯だ。ここに住む人はスペイン語を話そうとしないという。十数年前までは激しい独立運動が盛んだった地だ。民族が混在するヨーロッパの事情は日本人の想像を超えている。

 

今回のスペイン巡礼にあたって私は詳細な行程表を作っている。一日の歩行距離は20kmを基準として宿泊先情報と照らして予定地を決めている。ただし、10日目の今日の予定地ログニーニョまでの距離は僅か9kmあまりといつもの半分だ。こうしている理由は二つある。まずガイドブックによるとログニーニョから先はしばらくアルベルゲがなく隣町のナバラッテまでだとここビアナから22km以上になる。この距離は今までの行程と比較して際立って長いわけではないが10日目ともなると色々、疲労も溜まってくるだろう、一日位余裕のある日があってもよいと思ったのだ。それにログニーニョは美食の町だということにも惹かれた。たまには少し奮発して英気を養おうじゃないかという思惑もあった。

これに妻が異議を唱えた。行けるところまで行きましょう、どこかにペンション位ある筈だ、というのが妻の言い分だ。

そんなに急がなくても帰りの飛行機まで3日間を休養日にあてる余裕はあるがこの先、何があるか分からないからとも言う。

まあログニーニョで昼食を食べてから体力と相談して決めようと昨日、話している。しかし、あっけなく昼前にログニーニョに到着してしまい、自然にこのまま先に進むことになった。懸念していた蓄積疲労どころか10日目ともなると体が慣れてきて調子がいい時は体が欲する通り歩き続けたいという気持ちが強くなる。

 

しかし、歩き出して暫くして今回の判断が間違いだったことが判明する。ログニーニョの町を過ぎてすぐ広大な公園が広がった。ゴルフ場を横切る。金曜日の昼過ぎなのにプレーしている人がいない。その先に大きな湖がありキャンプには最適だと思うがここにも人影がない。遊具を整備した子供の遊び場も無人。

かんかん照りの日でかなり暑い。クラブハウスらしきものがあった。ここでもいいから泊まりたいという気持ちだったがそこに宿泊設備はない。更にクラークのスタッフから最悪の情報を知らされた。この先、6km以上は泊まる所はおろかバルも無いという。

やはりガイドブックは正しかったが今更、引き返すことはできない。とにかく先に進まなければならない。

悪い事は重なるもので公園を抜けたら照り返しの強いアスファルト道の登りが続く。珍しくガードレールまであり、車が脇を追い抜いて行く。

気温は相当高いが乾燥しているせいなのか不思議と汗は噴き出ない。私は登山時にいつも携行している速乾性タオルを2枚も持って来たが本来の用途には全く使わず、アルベルゲで洗濯物を絞る時だけ利用している。

 

妻は責任を取るつもりなのか私の前でピッチを上げる。

ログローニョを経ってから4時間の悪戦苦闘の末、ナバラッテで見つけたアルベルゲはなんと12人部屋に私達夫婦と寡黙な自転車野郎の三人だけ。その前にあたったアルベルゲは町外れから盛んにチラシを貼って宣伝していた為か満員。宿によって非常に混み具合が異なるので諦めずに粘り強く探すべきだと悟った。

そのアルベルゲがあまり積極的に宣伝していない理由が分かった。30近いベッド数なのに男性オーナーが一人で切り盛りしている。しかも一階でバルまで経営していてそこで巡礼者にペリグレムメニューを出しているが彼がウェイターまでこなしている。ベッドが全部埋まったら手が回らないのだ。

昨夜のバルもそうだったがスペインでは数少ない従業員しかいない店が多い。日本とは反対だ。失業率の高いスペインなのだからもっと人件費を使った方が結局はプラスのような気がするが。

 

とにかくこの日は当初予定の二日分を頑張って歩いた。しかし、無理のツケは早くも翌日まわって来た。


 

  • 11日目 919日 ナバラッテ⇒ナヘラ(16.0km

 

朝から妻は左膝に異変を感じたと言う。力が入らず抜けるような感覚らしい。

面白いと言うと妻に悪いが妻の体の異変は左側に集中していた。まず左の鼻の穴だけから鼻水が出だした。次いで左膝。ついでに左手にはめていた腕時計の紐がザックをかつぐ時に切れたがこれは勿論、偶然。更なる災難がこの二日後の朝に彼女を襲う。

昨日に続いて今日も好天。というよりも二日目を除いて全く雨に降られていない。天候面では私達は幸運に恵まれている。ついでに言うと準備中に心配していた足のマメは五本指ソックスのお蔭で防いでいるし多くの経験者が被害にあっている南京虫も我々を避けている。

私の弱点の足首の痛みも友人からのアドバイスメールを受けてテープで固定することでなんとか軽減できている。

 

葡萄畑が続く。途端に妻が畑に入りさかんに葡萄を摘む。果物には足の不具合を忘れさせる効果もあるのか?

私もつられていくつか口にしたがほのかな甘味で喉の渇きをいやすのに丁度よい。

それにしても今日は暑い。早目にビールとパンの昼食を取るために入ったバルのテレビに珍しく日本の風景が映っている。

国会前のデモが流れているのだ。こういうことでしか日本が話題に上ることがないのか。

最近、クールジャパンとか言って世界中で日本への関心が高まっているかのように報道されているがここに来てそんな実感は抱けない。日本人そのものが珍しいので話しかけて来る人は多いが、話題の中心は地震とかばかり。アニメやJポップのことなど誰も聞かない。どうやらあの風俗は都会に限られるようだ。

 

【しかしこのビールは旨かった】


 バルを出て一時間程歩いたところのサン・アントン峠からの景観は素晴らしかった。地平線のかなたまで続く道を日本で見ることは不可能だ。それにしてもまだまだ先は長い。


私の懸念材料は殆ど無くなったのに私以上に元気だった妻がだんだん消耗してきたことが気になる。やはり昨日はログニーニョに留まることをもっと強硬に主張するべきだっただろうか。

しかし、そんな妻が狂喜したのがナヘラで見つけたペンションがバスタブ付きだったこと。スペインどころかヨーロッパでも珍しい。

実に三週間ぶりの風呂にどっぷりつかった後、早々と寝についた。

私達が爆睡した頃、祖国日本がラグビーワールドカップで南アフリカに奇跡の逆転勝ちしたことに狂喜乱舞していたとは知る由もない。

 

 


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コメント: 1
  • #1

    舟津 紘一 (月曜日, 23 11月 2015 14:01)

    江戸時代の旅人は毎日10里(約40KM)歩いたようですが、現代人は20KMを毎日は中々歩けません。(ましてシニア層は・・・失礼)
    トランスポーターを頼むとか、休養日を作るとかが大事なのでしょうね。
    私も東海道は京都まで歩き中山道も7割くらい歩きましたが、今後ほかの街道も無理せず余裕を持って計画しようと思います。