2018年夏ドイツへの旅 春日屋 誠

 

私達夫婦とドイツとサーバスには妙な縁があってこの度、初めてのサーバストラベル先としてドイツを回ることになった。

 

2010年の夏、私達はドイツのグループツアーに参加していた。その途中、ポツダム宮殿で自転車旅行中の舘さん(元関東支部長)に初めてお会いしてサーバスを知ることになった。

 

【真ん中が舘さん、右はお友達、左は妻です】

 

そしてその2年後、我が家にサーバスホストとしてローランドを迎える。奇しくも彼のホームタウンはポツダム! しかも彼は単なるトラベラーではなく東京工業大学の研究員としてすずかけ台キャンパスまで一か月間、我が家から自転車で通い続けた。彼が帰国してから知ったことだが彼の指導教授が後にノーベル医学賞を受賞した大隅良則氏だ。ローランドはその栄誉ある共同研究者という訳。思わず私達も誇らしい気持ちになった。

 

その後もローランドの研究は続き、二年に一回位のペースで我が家にステイ。そんな交流を続けているうちに今度は私達が彼の家にごやっかいになることになった。

 

 

 

724日。テーゲル空港までローランドが娘のクララを連れて迎えに来てくれた。そこからバスと電車を乗り継いで彼の自宅へ向かい彼の妻、ヤナと再会した。彼女とは6年前、ローランドが離日する直前にクララと共に彼に会いに来日し、その時に会って以来だ。三人で関東支部会にも顔を見せている。

 

ローランド一家には三人の子供がおり、更に敷地続きの隣家にヤナのご両親が住んでいるので実質、七人家族だ。ローランド夫婦は共稼ぎなので昼間はお父さん、お母さんが幼い子の面倒を見ることが多い。

 

 

 

【ローランド一家】

 

お父さんに抱かれているのが長男のロベルト(3歳)。クララ(後ろ向き。11歳)は集合写真撮影中も妹ローラ(10歳)とプールに夢中だった。

 

ローランドはDIYの天才だ。家にステイしていた時もドイツから持ち込んだ自転車を自分で修理していた。ここでは二階家の軒先から太いパイプをひき、それを竹竿二本で組んだ足場で支え、パイプの先にホースを取り付けてドラム缶に雨水を貯めている。勿論、庭木と少し離れた所で管理している菜園の水やりの為だ。写真を撮り損ねたのが残念だがまさに棟梁の仕事ぶりだ。

 

 

 

今年はドイツも猛暑だった、と言っても湿度が低いので日本よりは凌ぎやすい。到着した初日からビール(これもローランドの手作り!)片手に庭で夕涼みを始めて、初めてお父さん、お母さんとお会いした。そのうち家族だけでなくご近所のローランドの友人たちも寄って来て野外パーティが自然発生。ドイツだけでなくヨーロッパの郊外住宅は敷地の境界に低い生垣があるだけで塀などは築かない。その為もあってか、お隣のグループと自然合流しやすい。日本の都会に住んでいるとこんなことも羨ましい。

 

 

 

ローランドとヤナはパートナーでもあり、研究者としてのライバルでもある。丁度、二人とも論文の締め切りが近いということで夜、遅くまでパソコンに向かっている。忙しいお二人を昼間から束縛することはできないので私達だけでベルリンとポツダム市内を探索することが多かった。ベルリンでは博物館の島、ポツダムではサンスーシ宮殿が印象深い。

 

 【新旧のサンスーシ宮殿(左が新宮殿)】

 

 

 

 

個人旅行だからいいことばかりではない。今回の最初のトラブルの原因はドイツの交通システムへの不慣れだった。ヨーロッパの鉄道駅に改札口がないことはもう周知だろう。改札口がないということはすなわち駅員がいないということなので、分からないことがあればまずインフォメーションに行く。ところが海外のそれは日本のようには親切ではない。パソコンに向かって早口でまくし立てる。キャッチできないので聞き返すと露骨に面倒臭そうな顔をする。こちらも気分悪いからいい加減なところで分かったふりをする。

 

近距離切符はほとんど販売機から買わなければならない。ドイツは日本同様に現金決済率が高いのでフランスのようにクレジットカードしか使えないということはないが切符が何種類もあるので操作画面が変わるたびにウロウロするのはご想像の通りだ。

 

やっと切符が買えてもどのホームからどの列車に乗ったらいいのかが分からない。先ほどインフォメーションでしっかり確認しなかったことを後悔しても後の祭り。英語の通じそうな人に聞くと、面白いほど皆が違うことを言う。

 

後日、このことをお父さんにこぼしたら、お父さんもこの地に越して2年たってやっとベルリンとの行き来ができるようになったと言う。

 

 

 

ローランド一家が友人の結婚披露パーティに呼ばれ、サーバス仲間だということもあって私達も誘われたが二人ともTシャツ位しか持ち合わせておらず丁重にお断りした所、急遽、一晩だけヴィッテンベルグのサーバスメンバー宅にお世話になることになった。

 

当日は、まだ心もとないと思ったのかヤナがポツダム中央駅からの列車に乗るまで見届けてくれた。そのお蔭で隣駅まで車で迎えに来たハロルドと会うことが出来た。

 

ハロルドは数年前まで支部長を務めていたドイツサーバスの重鎮で今でもサーバスインターナショナルを手伝っているという。

 

 

 

ヴィッテンベルグはマルチン・ルッターの宗教改革活動の史跡が有名で世界遺産に登録されている。ハロルドのガイドで旧市街を歩き、教会の塔の200段の階段を登り、広場でソーセージとビールを堪能した後、彼の運転で郊外の自宅に向かった。

 

【ドイツサーバス公認Tシャツを着るハロルド】

 

 

 

 

ハロルドの家までは速度制限のないアウトバーンで時速200キロを経験した。安定感ある中型車でもスリルいっぱいだがジャーマンドライバーのハイウェイでの運転マナーに感心する。日本で時々、見かける走行車線からの追い抜きなど一切ないし、路線変更する時のウィンカーを照らすタイミングも皆、適切だ。

 

 

 

ハロルドは閑静な住宅地の瀟洒な邸宅に車を横付けした。彼等ご夫婦は最近、市内からこちらに引っ越したという。実はこの家の持ち主であるロシア人のお金持ちがスペインに移住したのでこの家の管理をまかされたとの事。いい友人を持っていて羨ましい。

 

妻のマリーナも実に朗らかな人で会話の端々に軽いジョークを交える。テラスには既に綺麗にテーブルがセッティングされており、早速に夕食をご馳走になった。

 

その夜、ドイツでは皆既月食が観測できるとのことで盛り上がっている。生憎の曇り空でなかなか月が顔を出さないので諦めてそろそろ寝ようかというころに、マリーナの「あそこに月が見える!」と呼ぶ声。椅子に登ってやっと見えるかという地平線ぎりぎりの低い位置にぼんやりと漆色に染まったお盆のような物を認めた。

 

 

 

翌朝はハロルドの買い物に付き合う。帰りに湖で泳ごうと言う。スーパーマーケット二軒を回り大量の買い物を車に積むと、冗談かと思っていたのに本当に小さな湖に車を停めた。

 

私に海水パンツを貸すと、彼はスッポンポンで水に飛び込んだ。見事なバタフライだ。私は平泳ぎで追おうとするが彼に借りたパンツは大きすぎて足をこぐ度にズルズルと後退していく。人気のない湖だがこんな所で大の男二人がフルチンで泳いでいるのを万一、見つかったらどんな誤解をされるか分からない。私は早々と退散した。

 

 

 

【ハロルドとマリーナは本当に仲睦まじいご夫婦だ】

 

 

 

 

 帰宅してブランチを食べ一休みしたらハロルドがローランドの自宅まで送ると言う。マリーナは体調が万全ではないので同行できないとのこと。不調をおして私たちを歓待したことを知って有難いという思いと申し訳なかったという思いが半々だ。別れ難いマリアと私たちはハグしてから車に乗り込んだ。正に一期一会だ。

 

 

 

 タフなハロルドは一刻も時間を無駄にしない。真っ直ぐローランド宅に向かうのは勿体ないのでブルーベリー狩りをして行こうと言う。どうやら前日から今日のコースを考えていたようだ。そのブルーベリー園の広大さは将に東京ドームの〇倍という比喩に相応しい。しかも様々な遊具が揃ったアスレチックが隣接していて入場は無料。子供連れで一日遊べる。

 

 ハロルド持参のタッパウェア二個を持って、あぜ道を歩くこと10分。両側には既に実を獲りつくされた苗木が延々と続く。収穫期はもう半ば、入り口付近から順に奥へと狩場が移っていくシステムだ。

 

狩りの間、ブルーベリーはいくらでも自由に食べられる。甘酸っぱい実は食べ飽きない。

 

籠2つにあふれる程の収穫が合わせて15ユーロほどだ。果物だけでなくヨーロッパの食材は安い、と言うか日本が高すぎるのか。

 

 一週間と長居したローランド家とも明日でお別れの日、再び自然発生的に庭に全員集合。お父さんにぜひ一度、日本に来てくださいと言うがお母さんが旅が苦手なので難しいと言う。田舎生まれの自分たちにはここで娘夫婦の隣に住めるようになった今が一番幸せなのだと付け加えた。

 

 ローランドは秋にはまた日本に来る。今度はクララも一緒で横浜のドイツ人学校に数か月間、通学する予定だ。彼は職場の近くのアパートを借りる予定だが私たちは反対した。残念ながら日本も昔のように安全ではないと数年前、茨城県で起きた悲惨な事件を引き合いにして説得し、最後には我が家から通わすことを彼も承知した。

 

 サーバスを通じてドイツにも家族を持つことができた。

 

 (続く)