2018年夏ドイツへの旅(続き) 春日屋 誠

 

7月31日、ベルリン駅からICEに乗ってカッセルに向かう。今日の宿泊先はカッセルから更にバスで1時間先のフリッツラーという小さな村だ。そこに2晩滞在した後はニュールンベルグに2晩、その先はミュンヘンのホテルを予約してある。

 

 

 8年前のツアーは1週間あまりで一周するという慌ただしいものだったがドイツという国は北と南で大きく雰囲気が異なることを知った。商業中心でありかつ第二次世界大戦の傷跡が多く残る北部に比べてメルヘンチックな田舎が印象的だった南部。今回の旅行にあたって私たちはドイツの田舎の家庭の暮らしを見たいという希望をローランドに伝えていた。そこで彼が紹介したのがフリッツラーに住むヴォルフガングとニュールンベルグのシュミという二人の会員だ。

 

 カッセルには夏の期間に日曜日と水曜日に行われるイベントがある。今回、それを見られるのも楽しみだ。

 

 

 

 見知らぬ海外の田舎での1時間近いバス旅は長い。バス停を間違って降りようものなら目も当てられない。何しろ便は一時間に一本だ。ポツダムでの失敗は許されないと緊張したが、ヴォルフガングから目標のバス停が始発から何番目かとかボルボ販売店の看板が見えたら降車ボタンを押せとか懇切丁寧なメールを貰っていたお蔭で、彼が奥さんと二人でドイツ国旗を掲げて待っていてくれたバス停で正しく降りることができた。

 

 

 

【ヴォルフガングとロシア美人の奥さん、ナターシャ】

 

 

 

 アスリートの様にいつも俊敏に動きまわるヴォルフガングは多趣味な男だ。広い菜園で何種類もの野菜を育てているのを見てガーデニングが趣味かと聞いたら、いやいやこれは食べるためにやっていると笑い、自分の趣味は「パラグライダー」に「オートバイ」に「スキー」だと言う。庭先には年季の入ったホンダの大排気量バイクが置いてある。

 

 今日はバーベキューだそうでヴォルフガングが炭火で魚を焼く。腹を裂いてハーブを詰めたシイラだ。日の落ちるのが遅いドイツの夏。ディナーは野外が定番のようだ。

 

 

 

 その晩は殆ど眠れなかった。実は二三日前から歯茎の不調を感じていたがとうとうそれが痛み出したのだ。朝、鏡を覗くと右頬がむくんでいる。しかし、私は幸運だった。信じられないような偶然だがヴォルフガングの本職は歯医者だ。

 

 それで彼に窮状を訴えると、別に驚いた様子もなく午後、診療所に来るようにと言ってくれた。流石にプロで前の日、バス停で私と会った時から頬のむくみに気が付いていたと言う。

 

 水曜日はドイツ全国の医療機関が午前中だけの診療と決まっている。それで予約患者がはける12時に私を診てくれることになった。妻と、村はずれにある中世の牢獄だった塔を見学したあとカフェで時間をつぶして診療所に彼を訪ねた。

 

 マスクと手術着姿のヴォルフガングはまるで別人のようだったがきびきびした動きはここでも変わらない。助手と受付スタッフをさっさと帰らせて私の診察を始める。状況を確認して、応急処置をすると言ってメスで患部を切り、膿を出して薬を塗った。がらんとした待合室で待っていた妻に、日本に帰ったら再度、本格的な治療が必要だが当面はこれで痛みと腫れは治まるだろうと告げると、また機敏に動き出して診療所の戸締りを始める。その時も一つ一つの作業を声に出して確認する姿は頼もしい。現金なものでそれを見ているだけで痛みが去ったような気がした。

 

 診療所から自宅までは歩いて10分だ。ナターシャは昼間はパートタイマーとして働いているので留守。彼はすぐキッチンに向かってロシア風餃子を茹でだした。

 

 三人でさっさと食べ終わるともう出かける準備を始める。カッセルで2時から始まるイベントに駆け付けるためだ。

 

 

 

 ガイドブックに「水の芸術」と紹介されているイベントは世界遺産ヴィルヘルムスヘーエ公園内の小山山頂に立つヘラクレス像からスタートする。

 

 まずこの像の足元から水が流れ出す。初めはちょろちょろだがどんどん水量が増していく。私たちはヘラクレス像の傍から出発して水の流れに合わせて順に坂を下っていくという次第。イベントが始まって約1時間。最後には麓の池から水圧に押された大量の水が一気に噴水になって噴き出すのがクライマックスだ。

【写真では迫力がいまいち伝わらないのがもどかしい】

 

 

 翌日、北海道のスノウパウダーに興味があるというヴォルフガングに日本に来る時は必ず連絡をくれと念を押して、治療のお礼を丁重に述べてから次の目的地ニュールンベルグに向かった。

 

 

 

 カッセルからニュールンベルグに向かうICEの車内でも面白いことがあった。私たちはレイルヨーロッパというサイトからチケットをゲットしているので自分の席を探し出すとなんとそこはコンパ―トメント。薄いガラス戸の向こうの六席には既に三人の先客が座っている。しかも皆、気難しそうなビジネスマンだ。私たちがそれぞれの重いスーツケースを床に置いたまま空いている席に座ろうとすると、そのうちの一人がスーツ―ケースは棚に上げろと指示する。窮屈な室内で息のつまるような二時間になるのかとうんざりしたら、幸いなことに三人とも次の駅で降りた。次いで入って来たのが一転、爽やかな青年だ。

 

 やがて検札が回ってきた。同室の彼氏はスマートフォンをかざす。それを車掌が持っていた端末にかざして終わり。ドイツの列車の指定席は頭上の電光板に席番号と予約済みの区間が表示されている。そして予約済みでない指定席は誰もが座っていいらしい。この青年もこの席が空いていることを掲示板で確認して入って来たと見える。

 

 笑顔が素敵な青年と目が合った妻が学生かと尋ねる。意外なことに勤め先から帰るところで次の停車駅であるヴォルツブルクに住んでいると言う。そこは8年前のツアーでも訪れているマイン河畔に建つ古城が印象的な美しい町だ。ひとしきりその町の話題を交わしたあと、ふとどんな仕事か彼に尋ねると、何と彼も歯医者だと言う。

 

 そこで前のステイ先で自分が助かった話をして、よっぽど歯医者に縁があると三人で大笑いした。

 

 

 

 ニュールンベルグ駅のホームで私たちを待つシュミはサーバスロゴをプリントしたTシャツを着ていたのですぐ分かった。駅周辺には車を置ける場所がないので路面電車に乗ってシュミは私たちを自宅に案内した。彼の住処は集合住宅だ。

 

 実は今回の旅を終えてから長々と報告書を書く気になったのはここニュールンベルグで体験したことをサーバスの皆さんにぜひ紹介したいと思ったからだ。

 

 シュミが妻、リリーと住む家はいわばコミュニティハウスという言われるものだ。3階建てのアパートが三棟、コの字型に建っていてそれらのアパートに囲まれて広い中庭がある。

 

そして一階にはそれぞれ集会所や居住者たちで運営するカフェがある。更に地下には各戸専用の倉庫スペースと広い駐車場が設けられている。駐車場に止めてある車はカーシェアリングシステム。何よりも感心したのは居住者同士が相談して利用方法を決めたというスペースでそこには買いすぎてあまった食材や着なくなった服などを置いておく。そこから居住者は好きな物を持っていけると言う。

 

 ここに住む人にとって一番大事なことは月に1回の運営会議であってよっぽどの事情がない限り各世帯から一人は出席して様々な問題を討議し決定するということだ。

 

 このコミュニティに住むのは約50世帯。出身地も様々で多様な人種、異なる宗教を信じる人たちからなる共同体だ。

 

 

【中庭の遊具も多分、住民の手作りだ】

 

 シュミに中庭を案内される間も多くの人たちと挨拶した。クロアチアから来たという家族、オランダ出身の一人暮らしの女性、そしてアフリカ某国の難民だった家族。ベンチに座ってシュミの話を聞いていると集会所から静かにコーラス同好会の讃美歌が流れてくる。足もとに黒猫が寄ってきた。今、飼い主が旅行中なので住民が交代で面倒を見ていると言う。砂場では肌の色の違う二人の女の子が駆け回っていた。

 

 シュミとリリーに子供はいない。しかし、リリーは私たちに「ここに20人の孫がいる」と言った。リビングの壁には「孫」の一人が書いたと思われるリリーの似顔絵がピンで止めてある。

 

【腹の出具合を競うシュミと私】

 

 滞在二日目にニュールンベルグの旧市街、三日目にナチスの党大会跡地をシュミに案内された。シュミのガイドは玄人はだしだ。特に75年前、ナチス勃興のきっかけとなった地を案内する時は当時の写真や新聞記事のスクラップを手にして、いかにヒトラーが巧妙に国民を欺いたかを説く。私よりも年下のシュミが自国の負の遺産を後世に伝えようとする姿勢は、彼がコミュニティという形で様々な文化圏の人々と生活を共にする姿と重なって見えた。

 

 

 

 

【ヒトラーがローマのコロッシアムに似せて作らせた党大会跡地】

 

【ヒトラーの入場を真似るシュミ】

 

 ドイツでのサーバストラベルもニュールンベルグで終わり。この後はミュンヘンを根城にして三日間観光してからベルリンから帰国便に乗った。この帰国便で今回の旅での最後の幸運があった。ヘルシンキで成田便に乗り継ぐ予定だったが、この便が台風13号の影響でキャンセルになり、やむを得ず名古屋便に変更せざるを得なかった。

 

 うんざりした気分でチェックインしようとしたら係員に呼び止められ私達夫婦のチケットがビジネスクラスに変更された。人生最初のビジネスシート。台風のお蔭でゆったりと足を伸ばして日本に帰ることができた。

 

 

 

 初めてのサーバストラベルではローランドの他にも三人もの素晴らしい会員と交流することができた。遠く離れた地に住む方々だが何故かまた会えるような気がする。それまで私たちは海外から日本を訪れる会員にできる限りの誠意をもって接することが彼等への恩返しだと思う。