スペイン巡礼紀行 後編 (1) 春日屋 誠

 

 カミーノと呼ばれるサンチャゴまでの巡礼路を歩く目的には様々なものがある。勿論、その最も多くがゴールである大聖堂に行きつき、そこで毎日執り行われるミサに参列して祝福を受けるというものだが、サンチャゴまで歩き通すこと自体が目的だという者も少なからずいる。

私はクリスチャンではないので後者のうちの一人だ。だから3年前は、多くの得難い経験をしたものの達成感という点ではまだやり遂げていないという気持ちを残したままだった。その時、ブルゴスからバスと列車を乗り継いだサンチャゴまでの500kmを次は自分の足で歩きたい。リベンジは一年以内にと思っていたが雑事に追われているうちに3年目の正月を迎えてしまい「体力を考えたら今年位が最後の機会じゃないか」と焦りを感じ始めた頃に友人から連絡を貰った。大学時代からだから50年以上の付き合いになる佐藤だ。

 

 実は3年前のスペイン巡礼も初めは我々夫婦に佐藤ともう一人の友人、江口を加えた四人で実行という計画だった。それが家庭の事情で佐藤が長期間、家を空けることが困難になり、それを見て江口も見合わせた結果、我々夫婦だけになったという経緯がある。

 

久しぶりに佐藤に会って、話を聞くとあれから3年たって長期不在が可能な状況になったとのこと。彼自身のカミーノ・デ・サンチャゴへの関心も強いものがあり、それに背中を押されてついに「リベンジはいつするの?今でしょ!」となった。

 

 そこからはトントン拍子。江口も参加することになった。

 

 出発は前回の体験からやはりベストシーズンである9月。『私は前回の巡礼終焉の地、ブルゴスからスタート、江口もそれに同行。佐藤は暫く一人で歩きたいとのことで私達よりも早くパンプローナ(サンチャゴまで710km)からスタート。どこかで私達に合流』という大まかなプランを立てた。

 

 ブルゴスからの詳細な行程表や携行品リスト等の事務的な処理は前回の経験があるので簡単に完了。トレッキングシューズも新調した。

 

 ところが7月に入って35℃近くの日が続くことで計画に狂いが生じた。私は3年前より確実に5キロは太っている。山歩きも最近はしていない。そこで最低の準備として新しいシューズの足慣らしも兼ねて何回かロングウォークトレーニングを始めようと思っていた矢先にこの夏の猛暑だ。とてもじゃないがウォーキングどころか散歩する気にもならない。ぼやぼやしているうちに八月も終わりが近づき試しに全装備をパッキングしたザックを担いでみて愕然とした。ずっしりとショルダーベルトが肩に食い込み後ろに引っ張られる。装備は3年前と大きな違いはない。こんな重い荷を背負って300キロも歩いたのかと今更ながら感心する。少なくとも自らの体重が増えた分は荷を軽くしなければならない。残り一週間という時になって思い切って携行品を削る決断をした。

 

 まずはスマホ用の携帯バッテリーを止めた。アルベルゲでこまめに充電すればいい。次に替えズボンとアルベルゲで着替える短パンを止めて、代わりにジム用の古いトレーニングパンツを持っていくことにした。ズボンは一本で通す。速乾性のズボンにして、いざとなったらトレパンで歩けばいい。標高1500メートルの高地もあるので装備品リストにはウィンドブレーカーも入っていたがこれも止める。軽いフリースがあるのでそれでも寒かったら合羽を重ねることで忍ぶ。

 

 ぎりぎりまで装備を削る工夫をしている頃になって先発した佐藤からメールが来だした。湿気がないので暑くても比較的心地よいこと、カミーノに日本人男性は少ないので一人旅の女性たちに結構もてることなど期待を持たせる内容に混じって、『病み上がりなのでいつものスピードが出ない』との一文が気になった。そういえば3月に会った時に「頸椎ヘルニアを発症して暫く運動不足だ」と彼が言っていたのを思い出す。プライドの高い彼のことだ、再度スペイン行きを見合わせると言い出せなかったのかもしれないとの不安が胸をよぎった。

 

 

 

 98日。成田で江口と待ち合わせた。チェックインして預け手荷物であるザックの重量を測るとなんと6.8kg!機内持ち込み手荷物分を除いたとしても3年前とたいして変わらない。それをしんどく感じるとは体力の衰え以外の何ものでもない。しかし直前の携行品見直しを怠っていたらたちまち悲惨な目にあうことになったとポジティブに考えることにした。

 

 マドリッドまで直行のイベリア航空便だ。飛行時間は14時間以上。

 

 シートに座ってすぐアタックザックから古びて表紙が黄ばんだ文庫本を取り出した。もう何年も前に読んだ作品だ。機内でこの本を読み続け一睡もしないつもりだ。

 

 私は今まで時差ボケというものを経験したことがない。コツは少しでも早く現地時間に体を慣らせること。マドリッド空港到着は現地時間の19時頃。そこからホテルまで移動して夕食をすませて就寝するのには理想的な時刻だ。もし機内で眠りこけたらかえってホテルで寝付けなくなる。読み終わった本はホテルの屑籠に捨てればいい。

 

 

 

 スペインでの最初の夕食はホテル内のレストランでとった。江口はズッキーニのスープと二人でシェアしたホワイトアスパラが旨いと感激していた。

 

翌朝は狙い通りにスッキリした目覚めだった。ビュッフェスタイルの朝食も予想外に充実している。そこで江口から大阪なおみが全米オープン決勝戦でセリーナ・ウィリアムズを下したことを知らされた。そう言えば、3年前も妻とスペインを歩いている間にラグビーワールドカップで日本が南アフリカに奇跡の逆転勝ちをしたことを思い出す。どうも私が海外にいる時に日本選手が快挙を遂げるらしい。東京オリンピックの期間中は世界一周にでも出ようかなと思う。

 

 ブルゴスまでの列車の切符は購入済み。このホテルを選んだのも駅に近いのが理由だ。

 

 フロントに駅はどこかと聞くと、目の前にそびえる代々木の国立競技場ほどもあろうかという建物を指差す。ただ入り口が分からないので通りかかった男性に再度、尋ねると親切にも道案内までしてくれた。男性にお礼を言って構内に入って掲示盤で私達の列車ナンバーを探すが見つからない。そこでインフォメーションで尋ねると大変なことを知らされた。マドリッドには大きな駅が三つあって今、自分達がいるのはその中で最大規模の中央駅だが、ブルゴス行はここから電車で15分ほどかかるサマルティン(Chamartin)駅が始発だという。昔の東京でいえば上野駅と東京駅を混同したような事態だ。

 

 改めて切符を確かめると発駅はMADRID-CHと表記してある。このハイフンの後のCHが始発駅のイニシャルだったのだ。このチケットはレイルヨーロッパで買っている。便利なネット購入だが、現地の情報を自分で確認しないと危ないことを改めて知らされた思いだ。

 

 幸い、出発時刻まで余裕があったので慌てることもなく無事に列車に乗り込むことができた。

 

 発車が迫り徐々に乗客が乗り込んで来た。一組のカップルが私たちのボックス席の向かいに、もう一組が隣のボックス席にそれぞれ座る。この二組が実に対照的だった。

 

 四人とも恐らくスペイン人だろうと思うが目の前の二人は言葉少なで見た目地味だが互いが深く信頼しあっている雰囲気がこちらにも伝わる。男性は教会関係に勤めているのだろうか時々、おでこから胸へと順に指を当てて十字を切る。

 

 一方、隣の二人はと言うと、女性は女優かと見間違えるほどの美人だがお相手の男性はだらしない髭面で前席に土足を平気で乗せるなど実にルード。ずーっと二人でスマホを眺めながら何が可笑しいのか分からないがくすくす笑っている。それだけならまだしも彼らの前にアジア系の女性が一人座っているのに平気で抱き合ってはキスを交わす。全く目のやり場に困るとはこのことだ。マナーにうるさい江口は小声で「信じられない」と繰り返す。

 

 

 

 幸い不愉快なカップルは途中駅で降りたのでそれからは落ち着いて車窓を楽しむことができた。途中、突然と立派な古城が現れたのには驚いた。観光客の人影は少なくそれほど有名な観光スポットではないようだ。私はむしろこういう打ち捨てられたような箇所に惹かれる。列車はあっという間に通り過ぎたのでカメラを取り出す余裕もなく今となっては町の名前も分からないのが残念だ。

 

 スペインではブルゴスのような中堅都市の駅は中心部ではなく町の郊外にあることが多い。旧市街等の歴史地区を守るためではないかと思う。そこでブルゴス駅からはタクシーで町に入った。

 

 

 

 カミーノ・デ・サンチャゴで大事なことの一つはクレデンシャルにスタンプを押すこと。私たちは今回最初のスタンプをブルゴスの公営アルベルゲで押して貰うことになる。受付の女性にパスポートとクレデンシャルを差し出す。パスポートは出身国を確認するためで地元では巡礼者数をこまめに記録しているようだ。

 

 受付の女性は私のクレデンシャルを手に持って何やら嬉しそうに同僚と言葉を交わしている。私たちのクレデンシャルは日本のサンチャゴ友の会発行だから日本版だ。その表紙には天使の絵があしらわれていて、それが漫画チックで可愛くて日本らしいとスペインでは人気だという話を前に聞いたことがある。

 

 そのアルベルゲの収容人数は150人もあって広い談笑コーナーもある。洗濯と外飲みを終えた私たちが長椅子に座ってぼんやりしていると「日本の方ですか?」と声をかけられた。その女性は栃木県から一人で来ていると言う。歳のころは60歳前後だろうか何でも数年前に癌を宣告されたがそれを克服、その時に生きているうちにやりたいことをしなければと悟り、ご主人にどうかカミーノだけは行かせて下さいとお願いして実現したという。小柄ながら山歩きの経験も豊富なようで芯の強さを感じさせる女性だった。

 

 

 

 公営アルベルゲでは食事の提供はないので朝食用のパンを買ってから早々と寝袋に潜った。いよいよ明日から巡礼が始まる。

 

 

 

【ブルゴス大聖堂前の広場で】

 

 

 

1日目 ブルゴス⇒オル・ニージョス・デル・カミーノ(21km

 

 

 

 寝ている間も首からぶら下げていたままだったヘッドライトを点灯して腕時計で6時になっていることを確認してから、もそもそと寝袋から這い出すとそっと荷物を暗い廊下に運び出した。面倒な寝袋の収納に一番気を使う。

 

 下の談笑コーナーでは既に数人が朝食やパッキングをしている。ここで自販機から買ったコーヒーを飲んでパンをかじる。いざ出発という段になってストックの準備に手間取った。空港での預け入れを考えてザック内に収納できる折り畳み式にしたが、いざという時にその固定の仕方が分からない。ここでも事前の準備不足が露呈した。情けないが江口の助けを借りてなんとか使い方が分かった次第。

 

 

 

 スペインの夜明けは遅く7時でも外は真っ暗だ。それでも前日に巡礼路を確認しているので大聖堂の裏を真っ直ぐ行けばいいのは分かっている。しかし、橋を渡って郊外に出ると途端に街灯が少なくなりヘッドライトで暗い側道や敷石を照らして、ところどころ記されている道標に注意しながら歩く。それでもブルゴス市内で2回に渡って道を間違えた。

 

 一度目は郵便配達の車が止まって運転者が「いや、そっちじゃない。こっちに行け」という風な仕草で知らせてくれた。ここではザックを背負った者は巡礼路を歩くものとみなされている。

 

 二度目は暫く道標らしきものを見ていないことに気づいた江口が手を振って走ってくる車を止めて確かめなければならなかった。本来、曲がるべきだった場所まで戻ると歩道上に黄色いペンキで書いた矢印が右折を示している。でもこれでは視野の狭いヘッドライトをしょっちゅう左右に振らないと矢印を捉えることはできない。夜明け前から歩く巡礼者のことまでは考慮されてはいない。

 

 やがて道の両側を集合住宅が囲む団地のような所を通る。ところどころの部屋からは明かりが漏れるが歩いてくる通勤者には一向に遭遇しない。まだ日は昇らないが時計はすでに8時近い。

 

「今日はたしか月曜日だよな?一体、いつから動き出すんだこの町は?」と、江口が囁く。7時から通勤ラッシュが始まる日本からは想像できない世界だ。ただこの点は日本こそ異常なのだと私は思う。

 

 

 

 夜が明けてやっとブルゴスの町を出たと思った途端に両側に刈り取りの終わった小麦畑が広がる。いよいよメセタの大地と呼ばれる乾燥地帯の始まりだ。この先、麦畑の中の一本道をただただ歩み続ける。それがレオン近郊まで延々と200km近く続くイメージだ。

 

 歩き出して3時間程で最初の村に着いたのでバルで小休止することにした。スペイン名物のオレンジジュースを頼むとミキサーで3個ほどのバレンシアオレンジを絞ってくれる。これはスペインのどこに行っても飲めて果肉の混ざった新鮮なジュースは炎天下を歩いた後の乾いた喉には実に嬉しい。

 

 再びザックを担ぎ次の村を通り過ぎると目の前に最初の関門であるメセタ山が現れる。ここの標高差150mを一気に登らなければならない。

 

 

【最初の難関】

 

 

 

先に行く江口との距離がどんどん離れて行く。彼は引退後、岡山の実家に戻り今は日々、畑仕事に勤しんでいる。お蔭で足腰は現役時代よりも更に強化されていて数か月前に参加した40kmのロングウォーク大会で時速5kmが自分のペースであることを確認したと言う。

 

 そんな彼のペースについていったら自分が潰れてしまう。そうしたら3年前の二の舞だ。あの時の初日のピレネー越えでは、はやる気持ちを抑えられず、しまいには顎を出してしまった苦い経験がある。

 

 いよいよ急坂が始まる。登坂では到達目標を視認したらそこまでは休まずに一気に登りきるのが私の流儀だ。中途半端に休んで腰を下ろそうものならそこで足がつったりする。

 

 両手のストックを交互に使って後方斜面を押しやりマラソンの息遣いでエッサ、エッサとの掛け声で登る。ノルデッィクスキーの登坂シーンだ。

 

自分では走っている感覚だが、それを小さなザックだけのスペイン娘がいとも簡単に追い抜いて行く。彼女はトランスポートサービスを利用しているに違いない。

 

頂上で私を待つ江口の姿が見えた。振り向くと遥か眼下に広大な平原が広がりその先にさっき通過した村の教会の尖塔が見える。

 

明け方は寒いくらいだったが一旦、太陽が昇ると一気にまぶしいほどの強い日差しが降り注ぐ。頂上に着いた時は汗だくだがスペインの空気は乾いているのでザックをおろしシャツを脱いで腰にまいただけですーっと汗がひいていくのが分かる。

 

屈強な西欧男性にとっても、ここの坂はきついらしく息を切らせて登って来た男性はやったぜとばかりに私とハイタッチ。早くもカミーノ仲間の連帯意識を感じた。

 

休みすぎると体が冷えるので江口には先に行って貰う。長い下り坂を降り切ったところが今日の宿泊予定地、オルニージョス・デル・カミーノなので余裕綽々だ。

 

村には2時前に着いた。村に入ってすぐのアルベルゲはまだ開いていないがもう一つの公営はまだ少し先だ。そこまで歩くのが面倒になったのでそこでザックを降ろした。するとそこのオーナーらしい女性が歩いて来てフルフルと言う。つまり今日は満員だという意味だ。

 

仕方ないので向かいのレストランに向かう。そこにペンションを表すPの字の看板がかかっているのを既に確認していたのだ。

 

出てきた男性と交渉する。彼は個室を勧めるが早くも贅沢は慎むべきだと思い、ベッドはないかと聞くと、しぶしぶ2つだけ空いていることを認める。それで朝食代を含めて10€は妥当だ。

 

案内されたらなんということはない。いくつもある個室の他に空きスペースがあってそこにベッドを二つ並べているだけだ。シャワーとトイレは我々のスペースに隣接した部屋の住人に使わせて貰えと言う。その隣人からはちゃっかりと個室代をとっているに違いない。カミーノも随分と商売人が増えてきたなと思ったがここは文句を言っても始まらない。

 

隣部屋はザックが置いてあるままで人の気配がないので急ぎシャワーを浴びてからバルを探し出してビールで乾杯してから部屋に戻る。しかし私たちの居場所は廊下にマットだけひいたような所なので落ち着かない。自然とそれぞれに別れて村の散策を始めた。しかし小さな村なのですぐに村はずれに行き当たるし、これと言った見どころもない。さっきビールを飲んだばかりだがまだ喉の渇きがおさまらないのでペンションの向かいの雑貨屋に入ってコーラを買った。

 

そこのご主人は親切な男性で冷えたコーラがあるよと言ってカウンターの下から取り出して私に渡す。そしておつりと一緒に小さな帆立貝を私にくれた。

 

店の外のベンチに座ってコーラを飲んでいるとさっきから三人の女性があっちこっちを歩き回っている。一人は携帯電話で何やら話している。どうやらこの村ではどこも満員で寝どころが見つからないらしい。やがて三人ともザックを担いで歩き出した。6km先にあるアルベルゲが空いていることを確認できたので今から歩くようだ。時刻はすでに3時を回っている。それを見て、やはり明日からは遅くとも2時には目的地に着いていなければならないと悟った。

 

部屋(?)に戻って貰った帆立貝を江口にあげる。私のザックには既に3年前に苦労を共にした帆立貝が括り付けてある。

 

すると隣人が戻ってきた。男女2人ずつの四人組だ。二組の夫婦だと判断した。その日は挨拶以上の言葉を交わすことはなかったがこの後、この人たちとは色々と関わることになる。

 

 

 

2日目 オル・ニージョス・デル・カミーノ⇒カストロヘリス(19.1km)

 

 

 

 一階の朝食会場の壁に貼ってあるポスターがその絵柄から映画「星の旅人たち」のものであることは直ぐに分かった。私達夫婦がスペイン巡礼を思い立ったきっかけとなった映画だ。原題はずばり「The Way」というらしい。

 

江口はこの作品のことも出演しているマーティン・シーン親子のことも知らないというのでかいつまんでストーリーを説明しだした。私は映画の話をし出すと止まらなくなる癖がある。ここの朝食はコーヒーとパンだけという極めて質素なものなので二人はとっくに食べ終わっている。ふと、江口の視線が私の後方で止まっていることに気が付いて振り返ると、少し時代遅れじゃないかと思える立派な髭をたくわえた男性が「終わったら、早く次に変わってよ」と言わんばかりにわざとらしく足踏みしている。

 

私達はこの夫婦におとなしく席を譲った。奥さんの方は昨夜からよく見かけていたが、明るい目をした細身の美人で同宿の人たちとかわす会話を漏れ聞いてアメリカ人だというのは分かっている。

 

外はまだ暗いが今日は真っ直ぐな田舎道なので迷う心配はない。村を出るとすぐに登坂になるが昨日に比べたらずっと緩やかな傾斜なので冷たい空気の中、体が温まって助かると思うくらいだ。

 

斜面に写る自分の影が長く先に伸びたので振り返ると、巡礼者たちがまぶしい朝日に赤く染まっていた。

 

 

【朝日に染まる巡礼者】

 

 

 

昨日と同じような麦畑の中の一本道をただただ歩く。果てることのない麦畑に囲まれて江口は「こんな広大な畑をどうやってならしたんだろう。大変な労力だよ」と言う。私には答えようがない。彼はありとあらゆる作物を作っていて食糧自給率は90%以上だと言う。楽しくも苦しいことの多い農作業を知っている者ならではの感慨だろう。

 

サン・ボルという荒野にポツンと一軒だけ建つアルベルゲに向かう脇道を過ぎたあたりから再び緩い登坂が始まった。ガイドブックにはここら辺の巡礼路が超えるピークの全てにアルト山と記されている。どうやらスペインでは日本のように一つ一つの峰にそれぞれ命名するのではなく周辺一帯をひっくるめた大雑把な呼称があるらしい。

 

坂の途中で一人の女性が立ち止まり右足の筋を伸ばしている。どうも足がつっているらしく歯を食いしばって痛みをこらえている様子だ。大丈夫か?と聞き、私は足がつった時の特効薬を持っているのでそれをあげようかと聞いてみたが、ひと昔前の女優マーゴット・ヘミングウェイ似の女性は「私も薬は持っている。大丈夫。ありがとう」と言って、やんわりと答える。

 

私の脳内ボキャブラリーデータベースでは「特効薬」に相当する英語を直ぐには検索できずに、「分かった。がんばってね」とだけ言って通り過ぎるしかなかった。

 

 

 

オンタナスの村を過ぎ更に進むとサンアントンの修道院跡が現れて多くの巡礼者が吸い込まれていく。館内からはなにやら音楽が漏れ聞こえてきて興味をひかれたが、その時はすでに江口が遥か先を歩いていて、彼を長く待たせるのは申し訳ないので見学を諦めた。

 

やっとカストロへリスの城跡が見えてきた。今日の楽しみはこの城跡の見学だ。

 

 

【カストロへリスの象徴である城跡】

 

 

 

今日も2時前に村に着いた。少しでも距離をかせごうと村の奥にあるアルベルゲを目指す。

 

宿の前のベンチに先着していたのは白髪が美しい知的な女性だ。

 

オープンしたのでレセプションに行くと、そこのオーナーは韓国系の女性だった。それでディナーの説明を聞くと、韓国料理だと言う。スペインに来てまでキムチを食う気はないので朝食だけ注文する。スペイン男性が私達三人に部屋の案内をしようとすると先程の女性が話しかけてきた。

 

何でも私たちにブルゴスで会っていると言う。思い出せない。すると日本語で書かれたメモを取り出す。そこには日本人女性の名前が綺麗なローマ字で記されている。それで思い出した。確かにブルゴスでパン屋を探している時に、ばったり会った栃木の女性はすんなりとした外国女性と一緒だった。彼女はアメリカのワシントン州から来たと言う。

 

 

 

夕食はスペインの典型料理パエリアに決めて村の入り口にあるレストランまで戻る。足をひきずりながらの道中、左手に城跡を仰ぎ見るがもうあそこまで登る気力は残っていなかった。

 

パエリア(正しくはスペイン語でパエージャ)を食べている間、これは自分の得意レシピでもあると江口に言うと、彼は目を丸くする。

 

「俺は結婚してから米を炊いたこともない」と言う。

 

なんで?と聞くと、「料理を作れる人(奥さんのことらしい)がいるのに何で俺が作らなきゃいけない」と、逆に聞かれた。

 

佐藤に聞いていた通り、彼は亭主関白だ。

 

それで俺の偉そうな説教が始まった。

 

「これからの男はそんなことじゃいけない」「奥さんは文句が無いのじゃなくて、貴方が言うことを聞かないから言わないだけだと思う」「それみろ子供たちも貴方を糾弾しているじゃないか」

 

最後には頑固な彼もそうかもしれないと思い始めたのを感じたので日本に帰ったらパエージャのレシピを送ることを約束した。

 

 

 

この日は二日目にして早くもアクシデント発生。ポーチに入れっぱなしだった折り畳みサングラスが真っ二つ。つなぎ目のピンが外れただけだが当地での修理は難しい。眩しい紫外線に目を細めながら歩き続けるしかない。

 

 

 

3日目 カストロヘリス⇒フロミスタ(24.9km)

 

 

 

 ここの朝食が730分と異常に遅いので明日からは朝食抜きで出発しようと決めてザックを背負った。

 

 一昨日から続く同じ風景だ。出発が遅かったので早くも強い日差しがつらい。どんどん江口においてきぼりを食う。昨日の説教の仕返しだろうか?

 

この先、舗装道路に出て橋を渡ったところを次に待つ地点に決めて江口が急ぐ。何でも歩きのリズムを一旦掴むといくらでも歩ける気がすると言う。


 

 

【要するにこういう風景がずっと続くのです】

 

 

 

 次は江口を30分以上待たせてしまった。その間、彼を追い抜いて行ったアメリカ女性から「また待たされているの?あなたも辛抱強いわね」と言われたという。

 

 ここからが更に長かった。小さな丘を越えて次の村を通り過ぎるまでに2時間。すると運河沿いに巡礼路が続く。

 

 ガイドブックの地図で見た限りではこの先はそれほどない筈なのに歩けども歩けども運河は尽きない。ついにペットボトル2本の水も尽きた。運河沿いだから水場はあるだろうという考えは甘い。運河は全て乾燥地の農業用水用だからかえって飲料用の井戸はない。

 

 からからの地をからからの体で歩いていると映画「アラビアのロレンス」の一場面を思い出す。置き去りにされたベドウィンが絶望的に砂漠を歩くシーンだ。

 

 どんどん巡礼者が私を追い越していく。そのうちの一人が道端に腰を下ろした私に声をかけてきた。どこから来た?と聞くので「日本」と答える。この地には多くの韓国人が歩いていて私達もコリアからか?と何度も聞かれている。

 

 アメリカから来たと言うその青年が、「ここには日本人が少ないね。何で?」と聞く。

 

 その質問に即答するのは難しい。私は、「ここはまだ日本ではそれほど有名じゃない」とだけ答えておいた。

 

 やっと運河が尽きそうになった所に船着場がある。「へぇ~。この運河は運搬にも観光にも使われているんだ」と思っていると、そこで女性がパンフレットらしきものを道行く巡礼者に配っているのを見た。

 

 行き止まりの所に小さな公園があって、そこで江口が待っていた。早速、私は遠慮会釈なく彼に水を貰う。

 

 江口がさきほどのパンフレットを私に示す。案の定、新しいアルベルゲの客引きだった。

 

 そのアルベルゲは最新版のガイドにも載っていない。ということは、まだ空いている筈。ということで先を急ぐ。

 

 橋を渡って町に入った頃になって、江口が先ほどの公園で会った英国系スペイン在住男性と交わした話のことを私に伝える。

 

 初老の男性には、まずどこから来たかと聞かれ次にカミーノを歩く理由を聞かれたという。男性自身は自転車でスペインの運河沿いを回っているそうだ。

 

江口が言いたいのは彼との問答の内容ではなく、この地で初対面の相手から色々と聞かれることへの感想だった。

 

 彼は「最初はとまどった」と言う。でも三日歩くうちにそういった好奇心は自然なことであり、自分にはそれが足りないのではないかと思うようになったらしい。そして「日本人はやはり寡黙すぎる。思ったことは口にしないといけない」という感想に至ったと言う。

 

 全く同感だ。それで私は先程のアメリカ男性との会話の話をした。

 

 

 

 パンフレットに記された地図が分かりにくい。サンマルティン教会の前とあるが肝心のその教会が分からない。インフォメーションがあるが、生憎、シェスタ中で閉まっている。

 

 途中、一昨日のペンションで同宿だった女性二人に遭遇する。彼女らも同じパンフレットを持っているので四人で探し出す。

 

 広場にスペイン人が集まっているのでその中で一番若い女性に教会の場所を聞いた。その娘は暫く考えて自信なさそうに私たちが来た方向を指差し戻れと言う。すると、一緒にいた老婆がいやいや違う逆だと言っている様子。ついにそこにいた全員があっちだ、いやいやこっちだと二手に分かれる始末。要するにこの町には教会が多すぎてどれがどれだか住民にも分からない。皆、自分の所属教会が町の名所であるサンマルティン教会だと思っているんじゃないか。

 

 私たちのウロウロは偶然、江口にパンフレットを渡した男性と遭遇するまで続いた。

 

 

 

 オープンしたてのアルベルゲはオランダから移住してきた家族が一家揃って運営している。何年か前のサッカーワールドカップのスペイン対オランダ戦の際に色々取沙汰されたので元植民地と本国スペインは今でもあまり仲が良くないと決めつけていたが民間レベルではそんなことは関係ないようだ。

 

 レセプションは20代の娘さんが担当する。いつも笑顔を浮かべて愛想は良いがまだ慣れていない様子だ。

 

 クレデンシャルのスタンプ欄には歩いた順に押すように矢印が振ってある。それをこの娘は間違えてまだ3日目なのに裏返してそのトップに押印してしまった。私にそれを指摘されるとオーマイゴッド!と言って頭を抱える。結局、間違って押したスタンプにバッテンして再度、正しい位置に押印するだけで済ませられるのに最初の大げさな反応にはかえって私の方が慌ててしまった。

 

 シャワーと洗濯をすませバルを探しだして恒例のビールでの乾杯をしていると昨日、足がつっていた女性が入って来た。私に気が付くと、もう大丈夫よと身振りで示す。彼女は若い男性と二人連れだ。ここカミーノでは即席カップルもでき易い。

 

 昼寝をしようと部屋に戻ると先に帰っていた江口の様子が変だ。足がつったという。流石の彼も三日間の疲労が蓄積していたものと思える。

 

 早速、例の特効薬を彼にあげる。これは甘草と他の薬草をブレンドした漢方薬で横浜高島屋内の専門店で調合して貰っている。足がつった時にこれを飲めばたちまち痛みが和らぐ。今回、私は用心のために10袋以上持ってきている。

 

 江口のこむら返りは薬を飲んで10分ほどで嘘のように治まったが、次は私の番だった。こむら返りはあくびのように伝染するのだろうか?しかも足だけでなく両手までがつって指が反り返ったまま固まってしまう症状には驚いた。多分、ストックの突っ張り過ぎだろう。体裁の悪いざまだが上段ベッドに寝ていた私は下に置いたザックから特効薬をとってくれと江口に頼むはめになった。

 

効果絶大な薬だがネットで調べると甘草の薬効は強力で副作用も多いので乱用は避けるべきだとのことだ。だからこむら返りの予防のために事前に飲むようなことはしない方がいい。

 

 

 

 夕食はペリグレムメニューの看板を掲げている店を探し出した。食事は7時からだというのでオープンカフェでビールを飲んで時間をつぶす。

 

 カミーノでペリグレムメニューを見つけたら利用しない手はない。一皿目が前菜でこれはサラダ、スープ、パスタなどの中から選べる。中にはパエージャが含まれる店もある。二皿目が肉か魚料理。そしてデザート。何よりも嬉しいのはワインがボトルでついていて、それでお値段は10€のところが多い。

 

ところでデザートだが私は殆どフルーツ、それもメロンを選ぶ。これは日本のメロンのような高級品ではなく、まくわうりに近いものだがほんのりと甘くて水気たっぷりだ。注意しなければならないのはアイスクリーム。これがデザートに含まれている場合は、決める前に周囲を見渡してどんなものが出されるか見た方がいい。大抵は棒アイスをポンとおかれて落胆する。

 

この日は直前にビールも飲んでいたのでワインがすすまない。佐藤がいたら軽くもう一本、注文するところだろうが私も江口も彼ほどの呑み助ではない。

 

ボトルに半分残ったワインを隣のテーブルに回した。初め隣席の4人は観光客の夫婦二組だと思っていたが実は彼らも巡礼中のフランス人だった。それで話が盛り上がる。どこから歩き出したのかどこまで行く予定なのかを聞いてくるが半分くらいしかキャッチできない。それで適当に切り上げることにしたが、さっさと逃げるように立ち去るのはみっともないので大きな声で「ブエン・カミーノ!」と呼びかけると、彼等だけでなくそこら中のテーブルから「ブエン・カミーノ!」の大合唱で一気に店中が盛り上がったのには驚いた。沿道の町に暮らす人々の心の中心にカミーノがあることを感じた。

 

 

 

4日目 フロミスタ⇒カリオン・ロス・コンデス(19.3km)

 

 

 

朝の3時にガサガサと荷造りする音で目が覚めた。六人部屋で同室になった三人組だ。交わす言葉はドイツ語の若い男性と女性二人だ。彼らは昨日、このアルベルゲに先着していたので私は部屋にザックを降ろした時に「オラ!(スペイン語の“今日は”)」と男性に声をかけたが無視された。

 

どうにも不愉快な連中で一体こんな時間に出発してどこまで歩くつもりなんだと憤慨。どうせもう寝られないと諦めて彼らが出払ったのを見計らって起き出すと、江口ももそもそと寝袋から出てきて彼らの非常識に怒っている様子だ。

 

 

 

江口は昨日、生まれて初めてこむらがえりを経験したという。私は今まで足がつったことがないと聞いて驚いたが、彼は相当ショックだったようだ。

 

それで私は自分の経験を話すことで彼を安心させることにした。

 

私は縦走などの時は最初の晩、必ずと言っていいほど足がつる。三年前のピレネー越えの時もそうだった。ところがそれを乗り越えると二度と足がつるということがない。私の仮説では、筋肉に普段以上の負担がかかるとそれに耐え切れずに痙攣を起こしたりするがそれと同時に耐性も付ける。だから前日程度の負荷であれば翌日は足がつることはない。

 

用心のために江口には例の特効薬をさらに2袋渡してあるが多分この先は不用だろう。

 

 

 

私は今回の日程表を作るうえで体調不良や天候不順などのリスクを考えて2日の予備日を設けている。だからこの先、なんらかの事態が起きてもすぐに慌てる必要はない筈だ。

 

 実は今日の20キロ近いコースは自動車道に沿って側道をただ歩くだけで見どころもなく、フランス人の道の中でも最も退屈な行程と密かに言われているところだ。ここはバスで通り抜ける巡礼者も多い。現にブルゴスで会った栃木県の女性も「ずっとアスファルトの道を歩くところもあるらしいがそこはバスでスキップするかもしれない」と言っていたが、多分ここのことだ。

 

 私たちは徐々に体も長時間の連続歩行に慣れてきたところでリズムを壊したくないので今日も歩き続けることにした。

 

 単調な直線路だけに巡礼者が連なり時には会話が弾む。特に殆ど平坦なので自転車は独壇場だ。元気に「ブエン・カミーノ!」と掛け声をかけて追い抜いていく。尤も彼らが声をかける意味には「自転車が通るよ。危ないからどいて」という意味も含まれるが。

 

 そんな時の江口の「ブエン・カミーノ!」との返しも様になってきた。

 

 ところでこの「ブエン・カミーノ!」だがスペイン語で「良き巡礼を」という意味だから巡礼者同士ならともかく、行きかう村人にこう呼びかけられたら本来は「ムーチャ・グラシャス」(どうもありがとう)と答えるべきだろう。ところがこの咄嗟の使い分けがなかなか出来ない。多めに見て貰うしかないだろう。

 

 

 

 4時間近く歩いて昼も近くなった頃、バルがあったので一休みすることにした。敷地に入っていつものバルとは少し雰囲気が違うことに戸惑った。スピーカーから結構な音量で音楽を流しスタッフはロッカーともヒッピーともつかない曖昧な雰囲気だ。

 

しかも庭にはなんという犬種なのだろうか子牛よりも三つ回りは大きい巨大な犬とどういう分けか二羽のあひるがのし歩いている。はっきり言って怪しい。

 

 それでもいつも注文するスーモ・デ・ナランハ(オレンジジュース)は美味しかった。

 

 

 

  一つ気がかりなことがあった。佐藤のことだ。彼が病み上がりでいつもの調子でないというのは私たちの出発前から知らされていたが、その後のメールでは「周りから励まさられて何とか頑張っている」という調子に変わってきていた。これはどうも彼らしくない。彼は我々、山行グループのリーダー格で常に自信に溢れ我々を励ますことはあっても人に励まされて動くような奴ではない。

 

彼は現在、私達よりも一日行程分だけ先行している。そこで江口と相談した結果、「そろそろ合流しないか?」という意味のメールを一昨日、カストロヘルツのアルベルゲから送っている。一人でいることが心細くなっているのではないかと判断したのだ。

 

ところが昨日のフロミスタのアルベルゲではネットが繋がらず佐藤の返信を受信できなかった。そこのWiFiのパスワードはやたら長い。おそらく設定時に配信される仮パスワードをそのまま使っているのだと思う。私が壁に貼り付けている紙を睨みながらパスワード入力に苦労しているのを見ていた女性が「駄目よ。私もやってみたけど繋がらない」と嘆いてみせた。

 

カミーノでは野外でネット接続が必要になることも多い。そのため、私はグーグルの有料アプリもダウンロードしていたのでそちらも試すがこちらもどういう訳だか役に立たない。何だよ!24時間980円も取るのに!と舌打ちして昨日は諦めた。尤もこちらはWifi接続ONにしていたからだと後に判明した。

 

 

 

アルベルゲに着いて早速、Wifiを試すと今度は繋がった。それで佐藤からのメールを開くと、「もう少し一人歩きを楽しみたい。フランス女性に追い付いたら今度は恋に落ちそうだから」とぬかしている。「勝手にしろ!心配して損したわ」と打ち返した。

 

 

 

ここのアルベルゲは修道院に隣接しているからか夕方から数人のシスターが来て巡礼者を集めた集会を行う。丁度、私達がバルから帰ってきたらその集会が始まっていてホールに人がひしめいている。入り口で教会ボランティアと思われる男性に、「中に入ってお話聞いたら?」と促されるが、「いやぁ。遠慮しときます」という身振りをすると、彼は苦笑いして隣のドアを示す。そこから裏庭に回るとやはりお説教を回避した数人が談笑しているのでそこで会が終わるのを待った。先月、ドイツに行った時に聞いた話だが、ドイツでは年々、教会に通う人が減っているということだ。当然のことだが巡礼者だからといって敬虔なクリスチャンであるとは限らない。

 

 

 

ロングウォーキング上の私の弱点は足首だ。関節が硬く長時間の酷使の後は少し曲げるのもつらい。ベッドから降りても何かにすがらないとしばらくは歩けないほどだ。だからベッドの手すりにつかまって足首をぐるぐると回していた。こうして常に関節をほぐす必要がある。

 

それを見ていた江口が「今日から毎日マッサージしてやる」と言う。「えつ、そんな」と遠慮するが、「サンチャゴまでもってもらわないと俺が困るから」と言うので甘えることにした。

 

 肩から始めて背中、そして足首と全身マッサージコースだ。農作業で鍛えた江口は力も強いが、それを容赦なく発揮するのでマッサージというより拷問に近い。特に両肩の側方のつぼを一遍に押されると頭がしびれる痛みだ。しかし、確かに効いている感じだ。ザックの重みでコチコチだった肩と背中がほぐれていくのが分かる。ひざを上にひっぱりあげられるのもつらい。上膝の筋肉が張っているからだろう。

 

 それにしてもプロ並みの技術だ。独学で習得したという。

 

 マッサージを終えた江口は私の体の固いのに驚き、「よくこれで一日20キロ以上も歩けるね。よっぽど粘り強いね」と逆に感心された。

 

 お返しに下手なりに肩をもむよと言うが、「全く疲れていないから必要ない」と断られる。自分でも驚くほど快調で毎日あと10kmは歩けると言う。逞しい限りだ。

 (2)に続く