スペイン巡礼紀行 後編 (2) 春日屋 誠

 

5日目 カリオン・ロス・コンデス⇒テラディージョス・デ・ロス・テンプリオス(26.3km)

 

今日もヘッドライトを付けて暗闇の中を出発。相変わらず美しい星空だ。

 

昨夜、隣のベッドにいた女性が私たち二人に付いていた。多分、この暗闇を一人で歩くのが心細いのだろう。

 どこから来た?と聞くとイタリアのヴィチェンツァというヴェローナとヴェネツィアの間にある町だとの答え。「そこならイタリアのグループツアーの時にバスで通った」と言うと嬉しそうだった。

 

 光の漏れるバルがあった。「ちょっと朝食を買ってくる」と言って彼女は入っていく。江口は立ち止まらずにぐんぐん歩いていく。「えっ。待っていてあげないの?」と思うが彼は気にかけていない様子だ。やがて彼女は小走りに戻って来てすぐに私たちに追い付いた。 ここを歩く欧米の女性は強く、歩くスピードは私よりも速い。と言うか私が遅いだけだが。

 

 村を出ると暫く舗装路を歩く。しかし夜明け前でほとんど車は通らない。そして道標も少なくなる。

  江口との距離は遠くなり更にイタリア女性にも遅れをとるようになるが私のピッチはあがらない。どうも気分が乗らない。一つには暗くて道標を見落とす不安と、それとあまりに静かで不気味すぎて気勢が上がらないためだ。 

 江口はどんどん先を行くが、全く道標がないのに自信があるのだろうか?との思いがかすめる。

 やがて後ろから追うイタリア女性に気づいたのか前を行くヘッドライトが止まって路面を照らしているとそれに女性のヘッドライトが重なり、二人してまた歩き出した。

 

 二人のヘッドライトが共に前を向くと、つまりこちらを照射しないと私にはその光はぼんやりとしか見えず、しかもそれが段々、遠くなる。 流石にこれはまずいかなと思い始めたら、かなり後ろから光の輪が追いかけてきた。巡礼者に違いない。ならばこの道は正しく巡礼路なのだろうと少し安心する。

 

 後ろの光はどんどん迫ってくる。振り向くとヘッドライトがかなり高い位置にあって背の高い人物だと分かる。私は待つことにした。この寂寥とした道で人と会ったら言葉を交わさざるを得ない。

 彼が私に追い付いた。身長は2mを数センチ超えるだろう。一昨日のアルベルゲで見かけた人だと分かった。江口は彼をデンマーク人だと言っていた。 

 彼は足を止める様子がないので急ぎ「オラ!」と挨拶して、「これはカミーノの道だよね?」と聞いた。それに「Yes」とだけ答えてぐんぐん進んでいく。その背中を見て私は彼に「デンマークの進撃の巨人」というあだ名を付けた。

 

 夜が明けてヘッドライトを消した頃になってやっと私の不安は消えた。小麦畑ばかりでさえぎるものがないから巡礼路は真っ直ぐ西に延びる。

 次の村との丁度、中間地あたりに夏限定のバルがあるが傾きかけたバラックのような小屋でお客の数も少ないので諦めて通り過ぎた。

 

 江口がザックを降ろしてガイドブックを広げているのに追い付いた。さっきのバルを敬遠したので次の村まで7キロ近く頑張ろうと決める。イタリア女性の姿が見えないが、ちょっと前に畑に入って行く姿をみかけたのでそれ以上は追及しないのがマナーだろう。

 

 昨日のマッサージのお陰か足に問題はなくアップダウンもほとんどなかったこともあって苦なく次の村に着いた。

 しかし朝から歩きながらアルベルゲで買ったりんごをかじっただけなのにあまり空腹を感じない。またその村ではバルも見かけなかったので市場に行くことを思いついた。市場は布市の最中だったが折よく数軒、青果物を並べている店があったのでぶどうとすももを買い、公園で分け合って食べる。いい大人二人がまるで無銭旅行中の放浪学生のようだが、この地ではこういう姿も全く違和感がない。

 

 その村から自動車道に出て長い上り坂を登ること2時間で今日の目的地に着いた。

 

 

 洗濯物を干してからビールを抱えて庭に出たら例の4人組に会った。初日のアルベルゲで隣室の客だったグループだ。その後も何度か顔を合わせている。

  男性の一人はおどけた性格で私とすれ違ったり、目が合ったりするたびにわざとぎょっと立ちすくむふりをする。 そして、その日の男性二人の服装が全く同じことなのに気が付いた。同じシャツ、同じ半ズボンだ。そういえば顔も似ている。というか気のせいか「そっくりさん」と言ってもいい。 タイミングよく、ひょうきんな方の男性がビールのおかわりのために私たちの前を通ろうとするので私が呼び止めた。

May I have one question?

すると、彼は即座に「Only one !」と答える。この当意即妙のウィットに噴き出したが私は質問を重ねる。

 「君たちは兄弟か?双子なの?」

男性は何故、そう思うんだ?と意外な答え。

「だって同じジャツ、同じパンツ。それに同じ顔じゃないか」

この答えに男性は目を丸くする。「何だって!俺の顔があいつと同じだって!」 

そのまま、彼は三人の所に戻って言いつける。あの日本人が俺とこいつが同じ顔だとぬかした。なんて奴だ、とでも言ったのだろう。四人が大笑いしている。

 

また暫くして、その男性が私達に寄って来て隣に座った。今回は真面目な顔をしている。彼は自分はアメリカ人だと言ったうえで「君たちが日本人なので聞きたいことがある」と、話し始めた。そしていきなりアメリカが広島と長崎に原爆を落としたことを日本人はどう思っているのか?との難問を投げかける。

 答えに窮する質問だ。初めは「一部の人たちは今でもアメリカを非難している」とか、当たり前の答えで乗り切ろうとしていたが、それではこの男性が求めている答えにはならないだろうと思い、意を決して、私が一か月前にドイツで経験したことを彼に話し始めた。

 

 ニュールンベルグでのことだ。三日目にサーバスホストが私達夫婦を戦争遺産であるスタジアム跡に連れて行った。ここでヒットラーがナチス党の結成宣言を行っている。そしていかに彼らが演出巧みにドイツ国民をだましていったかを再現してみせたのだ。私にはそのホストの過去の過ちを忘れずに残そうとする気持ちが伝わって来た。

 

 つまり私が言いたかったのは戦争そのものを憎む気持ちはあってもその当時国の国民を恨んでも何も残らないということだ。ただ私のつたない英語ではどれだけ分かってもらえたかは心もとない。

 

 私の話を黙って聞いていたアメリカ男性はやがて自らの経験を話し始めた。

 

 彼はベトナム戦争に従軍していた。そしてベトナムで何人かの戦友と多くの善良なベトナム人の死を目のあたりにしている。そしてそのトラウマからまだ抜けきれないでいる。 ベトナムでの悲惨な経験を話しているうちに男性は泣き出した。そして彼がここ、カミーノに来た理由もそこにあると泣きながら言う。

 

 私は言葉が出なかった。江口もただ男性の肩をたたき、なぐさめる事しかできなかった。

結局、男性二人が兄弟なのか否かは分からないままだった。

 

 

 夕方遅くなって昼間のイタリア女性が消耗しきった様子でアルベルゲにたどり着いた。あの後、足を痛めたらしい。明日は一日、休養すると言う。

 

 

 佐藤からメールが届く。サアグーンという先の町で日本人女性に会ったという。ブルゴスで神奈川出身と岡山出身の日本男性に会いましたと言っていたので私達だと分かったと言う。

 

 カミーノは歩くスピードに違いはあっても一日に歩く距離はそんなに差はないし、泊まる所も限られている。だから同じメンバーと顔を合わせることが多く、情報交換もできるのが面白い。

 

 

6日目 テラディージョス・デ・ロス・テンプリオス⇒ベルシオナス・デル・レアル・カミーノ(23.5km)

 

 行程予定表では今日は地方都市サアグーンで泊まることになっているのでその距離はわずか12kmだ。そろそろ疲れもたまるころと予想したのとサアグーンには史跡も多いのでそれを見学するのも悪くないなという気もあった。ただ二人共、予想以上に元気だ。特に江口は絶好調でどこまでも歩けるというし、彼が毎日マッサージしてくれるので私の足首も今のところ問題ない。

 

 途中まで歩いてその時の様子でまた考えようと決めて出発した。

 

 やはり調子がいい。歩き出して暫くは私が先を行く位だ。気持ち良いリズムで歩いていると後ろから女性二人のおしゃべりが聞こえてきた。スペイン語だ。

  彼女らは恐らくトランスポートサービスを利用して一日分の荷物しか背負ってないので軽々とした足取りだ。ところが私たちの後ろについたけど抜こうとしない。さては私のペースが彼女たちにも丁度よいらしい。自転車競技の先導役のような気分だ。

  振り向いて目があったのでオラ!と挨拶してどこから来た?と聞いた。コロンビアからだと言う。

 

 そちらは?と聞くので、日本と答えると、一人がワオー!と叫び、「二、三年以内に日本に行く。それが私の夢なの」とのこと。カミーノでは毎日、色んな国の人と出会うが確実に日本ファンが増えていることを実感できて嬉しい。

  二人共、30代だと思うが、旦那と子供を国に置いて一か月の巡礼だとのこと。またスペインには卒業旅行で一度来ていると言う。コロンビアでも上流階級のご婦人たちに違いない。

 

 体の調子がいいと腹も減る。丁度ころあいのいい所にバルがあるので多くの仲間たちと共にそこでコーヒーとクロワッサンの朝食をとった。

 ゆっくりと食事する彼女たちを残して出発。腹がふくらむと緊張もゆるんでまたいつものように江口の後を追うようになった。

 

 小麦畑に変わってひまわり畑が広がりだした。すでに満開を過ぎて花は散っているが居並ぶ茎の風景に圧倒されてカメラを構えたりしているのでまた江口を待たせることになった。

 

【満開の頃に来たかったなぁ~】

 

サァグーンの手前の教会跡の広場で江口は待っていた。時間はまだ10時。やはりもっと先まで行こうと言う。私も異存はない。

 

同じ広場に昨日の4人組のうちの女性2人がやはり休んでいた。どういう訳か男性二人の姿がない。

先に私たちがザックを背負うと女性の一人が「今日はどこに泊まる予定?」と呼びかける。サアグーンの次の村だと答えると、どこそこの町かと聞き直す。曖昧なままにそうだと、いい加減に答える。こちらの村の名前はどこも長ったらしくてとても覚えられない。

 

サアグーンは確かに歴史の深さを感じさせる町で素通りするのは勿体ない気もしたが日程上、仕方ない。私は町の出口の城門だけカメラに収めて先を急いだ。

 

【サアグーンの城門】

 

 

 

メセタの大地を抜けるのもそんなに先ではない。緑も多くなり気持ちのいい並木道を歩くことも多くなってきた。

 

ハイウェイ沿いの道にさしかかった頃、どこからか沸いてきた大集団に追い付かれた。20人近い中年男女が次々と追い抜いていく。その度に「オラ、ブエン・カミーノ」と声をかけるが、それに小さく答えるだけで先を急ぐ感じ。一人一人の表情には笑顔が見られない。団体になるとスケジュール優先になるのだろうか。

 

遥か先方に私よりも更にゆっくりと歩く男性を見つけた。それこそ左、右と両の足に交互に言い聞かせて踏み出すように進んでいる。

 

やがて追い付いたので、いつものように挨拶すると今度は「ボンジュール」という言葉が返ってきて「ブエン・カミーノ」と続いて答える。たぶん70歳は優に超えていると思う。あのスピードでは一日に10数キロしか進めないだろうと思った。

 

 

 

路上に大きな黄色い矢印があってここでハイウェイを渡れと指示してあるので従う。すると今度は側道を右に入れとある。やがて小さな村に出たので、「あれ?まだしばらくハイウェイ沿いが続くんじゃなかったかな」と思う。サングーンの手前で江口と打ち合わせした時のことを思い出そうとするが泊まる予定の村の名前が浮かばない。それにまだまだ時間がかかる筈だったが曖昧だ。後ろのポケットにしまったガイドブックを取り出すためにザックを下ろすのが面倒なので取り合えずアルベルゲに入る。

 

そこで初めてルートを間違えたことに気が付いた。このまま進むと翌日の宿泊村まで30キロ以上、元のルートと交わらない。

 

あわてて先程のハイウェイまで戻るとちゃんともう一本、ハイウェイ側道の方向を示す道標がある。大チョンボだ。

 

当然、江口は遥か先を歩いている筈。彼の携帯を呼ぶが案の定、電源が入っていない。仕方なくアプリを立ち上げてメールを打っておいて急ぎ歩き出した。

 

前方にまたあのお爺さんが現れた。さっきと変わらず、ゆっくりだが確実な歩みだ。

 

再び追い抜いたが、これこそうさぎとかめのお話だなと自嘲した。そして突然、江口から聞いた話を思い出した。何でもフランスから3か月かけてサンチャゴまでゆっくり歩いている80代の男性のことが巡礼者間で話題になっているということだ。今の男性が彼に違いない。多分、どんなに時間がかかっても彼はサンチャゴにたどり着くだろう、一方、俺は今みたいなそそっかしい間違いをしていたら、どこかでこけるかもしれないと反省した。

 

 

 

 ロス時間と歩行速度の差を考えたら江口を1時間以上待たせることになる。もう一度、メールを開くが彼からの返信はない。村で泊まるアルベルゲを決めていなかったこともまずい。彼の動きが予測できない以上、自分にとって最も楽な選択肢を取ろうと考え村の手前にあった新しいアルベルゲに入った。

 

 レセプションで日本人は来たか?と聞くが誰も来ていないという。この先、村の中心までは長い登坂だ。ルートロスのために2キロは余計に歩いている。

 

「今日はここで泊まろう、江口は何とかするだろう、明日のことは明日、考えよう」と決めてザックを下ろすと後ろから大きな声がかかった。

 

息せき切って駆け込んで来た江口が叫ぶ。

 

「おい春日屋!何、してるんだよ!坂の上からずっと手を振っていたのに」

 

彼は丘の上からずっと一本道である巡礼路を見張り、遠く私を認めたのでここまで来いと手を振ったが私がそれに気づかず勝手に手前のアルベルゲに入ったと怒る。

 

私は私で道を間違えたのでそれを連絡しようとしたのに何で携帯を確認しないんだと反論。結局、痛み分けということで今日も仲良くチェックインした。

 

 

 

ここのアルベルゲに泊まったのはケガの功名だった。ここはオープン仕立てなので清潔で部屋も広い。その上、まだガイドブックに掲載されていないために泊まる巡礼者も少なく、私達の部屋は平ベッドが六つ並べてあるのに客は他にいなかった。


 

 

7日目 ベルシオナス・デル・レアル・カミーノ⇒マンシーラ・デ・ラス・ムラス(26.7km)

 

 

 

 今日で一週間目だ。三年前も最初の一週間が勝負だと聞いていた。脱落する人の多くが最初の一週間内にギブアップするらしい。

 

 幸い、私達にさしたる支障はない。日程も当初予定より一日分先行している。アルベルゲでの過ごし方を含めて一日のリズムも出来てきた。

 

 起床は出発の30分前だから530分から6時の間。手早く準備できるように大体のパッキングを終えてヘッドライトを手元において寝る。

 

 起きて最初の大仕事は寝袋の収納だ。他の方の邪魔にならない場所を前夜のうちに決めておく。

 

2時間歩いたころには夜が明けるのでバルがあったらコーヒーとクロワッサンの朝食。昼食は果物とコーラで充分だ。次のアルベルゲには遅くとも2時には着くようにする。

 

 寝床を確保したら、まずシャワーを浴びて着替えて洗濯。それを干し終えて、やっと至福のセルベッサ(ビール)タイムだ。気持ち良く酔ったら昼寝。そしてその後にここ数日は江口によるマッサージが待つという贅沢だ。そしてディナーにペルグレムメニューを見つければ最高だ。

 

 

 

 これからカミーノを歩く予定の方にガイドブックに書いてないような情報をまとめよう。

 

 まずバルやレストランでは注文を聞いて貰えるまでの忍耐が必要だ。一般にどの店でも最小限の従業員しかいない。誰もが忙しく動き回っている。だから声をかけるタイミングが難しいので目があった時に素早く合図する。

 

 それとスペインの商習慣なのだろうか先客の用件が最優先される。ある方の注文を聞くとその人へサーブするまで他の人の注文を聞かない。日本みたいに平行作業や他のスタッフが補助するということがない。

 

 あるバルでのことだ。先客がクレジットカードで精算しようとしたが読み取りが不調だったらしい。それをバルの主人と一緒になんだかんだと話しながら何度も読み取らせようとしては失敗している。その間、主人はこちらに顔も向けない。その時はとうとうしびれを切らせて他の店を探した。これは正しい処置だ。決してクレームを付けたりしたらいけない。日本人はせっかちすぎると逆に非難されるのがおちだ。

 

 レストランで出される料理は日本の1.5倍はあると思ったほうがいい。どうしても食べ切れずに残した時は、皿を下げて貰う時に「ごめんなさい。美味しいんだけど量が多すぎた」と言った方がいい。向こうの人は率直だから、「どうした?美味しくなかったか?」と聞かれることがある。

 

 あとこれは良く言われることだがレストランに限らず現金精算の時の注意。端数の小銭を加えて差し出すことは止めた方がいい。例えば、支払い額が915セントの時に10€紙幣に15セントを足しておつりを1€にまとめようとする人が特に日本人に多いが、これは混乱のもと。向こうの習慣はおつりを出す時に、まず支払い額を声に出して言って、その上におつりの小銭を出しながら足していき最初に客が出した金額に達するまで小銭渡しと加算を続けるからだ。渡した額から支払額の引き算を暗算でするということに慣れていないようだ。

 

 

 

 トランスポートサービスについての注意。荷物を運んで貰えるのはありがたいが、これは次のような手順でやる。まず翌日のアルベルゲを予約する。次に宿泊先からサービス会社の伝票を貰いそこに宛先のアルベルゲ名と氏名を書いてザックに貼る。そしてその荷を翌朝、指定の場所に置いておく。

 

 ただこれだけのことだが問題は予約できるアルベルゲは民営に限るということ。公営は原則として予約できない。またペンションは対象外だ。だからトランスポートを利用できるのは民営アルベルゲ間に限られる。但し、ホテルについては情報不足で分からない。

 

 それと予約は電話でするしかないのである程度以上のスペイン語会話力が必要だ。カミーノの宿で英語が通じることは稀だ。

 

 会話力の問題が解決できたとしても信頼性の問題がある。今回、途中で会った日本人夫婦はトランスポートサービスを利用しながら所々を歩くということをしていたが3日連続でザックが届いていないことがあり業者を変えたらやっとおさまったという。業者選定には苦労するかもしれない。

 

 

 

この日の道はずっとハイウェイに沿ったいつにも増して単調な直線でアップダウンもない。しかし、文句を言ったらバチが当たる。まずただただ何も考えずに真っ直ぐ行けばいいわけで昨日のようなミスロードはしようと思ってもできない。

 

それよりも何よりもありがたいのは今日も晴天だということ。これで歩き始めてから7日連続で全く雨を知らない。確かに暑いが合羽を着てとぼとぼ歩くことを考えたら数段ありがたい。

 

 

 

マンスーラの町はその前後、5キロ以内にこれといった村もないので巡礼者が集中しやすくアルベルゲは満員に近かった。二段ベッドの上段が二つ空いていただから私たちは滑り込みセーフというわけだ。

 

アルベルゲ一階のバルでいつものように至福のセルベッサタイムになって私は気が付いた。もう何度も色んなところでセルベッサを頼んでいるがその度に付け合わせが付いていたり、付いてなかったりまちまちだ。特に私はオリーブの塩漬けが気に入っている。程よい酸味がビールにマッチしていくらでも食べられる。

 

それでこれは一つ試してみるかと思った。注文するのではなく、オリーブはあるかと聞くのだ。

 

Do you have olives?

 

 するとカウンター内のチャーミングな黒人女性がにっこり笑う。「あら、知っているじゃない」って感じだ。こうして私はサービスのオリーブを手に入れ、この日以来、私がセルベッサタイムのオリーブ担当になった。

 

 

 

■8日目 マンシーラ・デ・ラス・ムラス⇒レオン(18.1km

 

 

 

昨夜のアルベルゲはそれまでで最も劣悪な環境だった。とにかく人口密度が高く、二段ベッドの上段だった私はザックの置き場に困った。換気も悪く、夜はむし暑くて寝袋に入っていられないので夏掛けがわりに体にかけるだけ。寝返りをうったら寝袋が下段にずり落ちないか不安になる。

 

 それでも今朝の寝覚めは良かった。多分、疲労が蓄積していたのだろう。

 

 

 

 自動車道の長い緩やかな登坂で女性から「Helloagain!」と声を掛けられた。初日のアルベルゲ以来、しょっちゅう顔を合わせる髭男の奥さんだ。旦那はむすっとしていてとっつき憎いが奥さんの方は気軽に笑いかけてくる。まず奥さんが軽快な足取りで追い抜いていくと、その後を旦那が「あぁ、またお前か」という感じに横目を私に流しながらついていく。

 

 道端でフルーツを売っていた。二人はザックを下ろして品定めしている。彼らも昼食はバナナかりんごに決めているようだ。

 

 欧米の人の歩くスピードは速いが、その変わり結構な頻度で長い休憩をとる。それに対して、私達日本人は粘り強く歩く。二時間以上、休まずに歩き続けることはざらだ。

 

 だからこの日はそのアメリカ人夫婦と抜いたり抜かれたりの恰好になった。何度目かに夫婦に抜かれた時、受けを狙って「Ohyou beat me again」と言ったが、受けなかった。

 

 

 

 最初の村の手前を流れる川に美しい橋がかかっている。皆、一週間に渡ってメセタの乾いた大地を歩いてきたので緑地の始まりを告げるこの川は私たちにはひときわ眩しく映る。多くの巡礼者がたたずんで写真を撮っている。その中にコロンビアの女性二人の姿もあった。

 

 私がカメラを構えていると隣から「なんだ!日本じゃないか!」との声がかかった。気が付かなかったがフロミスタのレストランで「ブエン・カミーノ」を交わしたフランス人グループだ。お互いに「よく頑張っているね」と励ましあう。歩いていて会う人の中には顔なじみも多くなって、言葉はあまり通じなくても気持ちが充分通じる仲間になっている。


 

 

【メセタの終わりを告げる川】

 

 

レオン市街を見下ろす峠で小休止した。道端でギターを抱えて歌を披露して道行く人に小銭を恵んで貰っている男性がいる。時々、ギターをくるりと回すパフォーマンスが可笑しい。江口は私を待ちながらずっと観察していて欧米系の巡礼者の三人に一人が小銭を入れているとの報告。結構な稼ぎになる。

 

 後方から何やらガラガラという音がするので、振り向くと韓国人と思われる若者が何とカートを引いている。下り坂ですべり落ちそうなカートを抑えて踏ん張りながら、唖然として見送る私の前を通り過ぎて行った。

 

一体なんでカートにしたのか?きつい登坂ではどうするのだろう?私は聞いてみたくなったので急ぎ追いかけ、一息ついている彼に話しかけた。

彼によると登坂では背負えるようになっているとのこと。試しに持たせて貰ったがフレームの分以上にずっしりと重い。カメラ道具一式を運ぶのでこの方法しかないと言う。

 

頑張ってね、また会おうと言いおいて別れたが、何のことはない10分後には彼はいとも簡単に私を追い抜いて行った。若いということは素晴らしい。江口によると彼はレオン市内に入るとカートから取り出したドローンを飛ばして空中撮影をしたという。

 

【巡礼路随一の大都市レオンを望む】

 

レオンはこの巡礼路中、最大の大都市だ。市の中心にでんと構える大聖堂が最大の見どころだがそこにたどり着くまでに10分以上かかった。

 

私達は、昨夜のアルベルゲで神経的に疲れたので今日はちょっと贅沢してペンションを探そうと決めていた。大聖堂前広場に隣接したインフォメーションに入り、いくつかのペンションを紹介して貰う。その一つ、市場のそばのペンションに当たってみることにした。

 

入り組んだ道をたどるのは難しい。どこの通りもどこの曲がり角も同じに見えて地図上の現地点が分からない。

散々苦労してバルの階上をペンションとして部屋貸ししていることが分かった。一人50€と思ったより高いので迷ったがまた新たに探すのも面倒だと思い、部屋を見てからしまったと思った。

窓がはめ殺しでしかも内側を木製のブラインドで覆っているので風を入れられないどころか洗濯物も干せない。後悔するもベッドで寝られるだけましと思うことにした。

 

それにしても3年前のペンション相場は部屋代金で30€が相場だったと記憶している。二人で泊まれば一人当たり15€だ。それに比べたらレオンという大都市であることを考慮しても高すぎる。カミーノ人気がペンション価格を高騰させているのだろうか。

 

このペンションに関してはもう一つ、腹立たしいことがあった。クレデンシャル用のスタンプを置いてない。仕方ないので私たちは大聖堂を見学した後、シェスタ中のインフォメーションが開くのを待ってスタンプを押して貰った。

 

【レオン大聖堂のステンドグラス】

 

その夜、佐藤から更に心配なメールが入った。急に耐えられないほどの膝の痛みを感じたのでアストルガで一日、休養して体調が回復しないようならギブアップするというのだ。


 

 

9日目 レオン⇒サン・マルティン・デル・カミーノ(26km

 

 

 

レオンからアストルガまでは50キロだ。起伏があるので楽ではないが頑張れば明日にはアストルガに着く。そうすれば休養中の佐藤に会って三人で相談できる。

 

たとえ佐藤の膝が芳しくなくても選択肢はいくらでもある。例えば膝が回復するまで佐藤がバスで目的地まで行って私達を待っているとかトランスポートを使って荷を軽くするとかも考えられる。佐藤が見送る人もなく一人でバスに乗ってリタイアすることだけは考えたくない。

 

 だから今日はいけるところまで行こうと江口と話し合って6時にペンションを出た。

 

レオンは広い。石畳の中心地からアスファルトの商店街を抜けても郊外住宅地が延々と続く。2時間近く歩いてやっと国道に出る。その側道が巡礼路だ。

 

緑が更に目立つようになり、時折、路は脇にそれて心地よい風がそよぐ林の中へ誘ってくれる。それにしても今日も晴天。これだけ晴れの日が続くとはよっぽど日頃の行いが良いとみえる。

 

行程予定表上の目的地である村まであと2時間だが今日は少しでも先に行くつもりなのでサン・ミゲルという小さな村で朝食兼昼食をとることにした。手前でFRUTASという看板も見つけたので、すももとりんごを買い、バルでレモンスカッシュだけを買って外のテーブルで手早く食べる。夜に腹を膨らませ昼間は極力食べないような生活が続いている。

 

 

 

【昼はこれだけで充分】

 

 そこからは緑も途絶え、長い苦しい道のりが始まった。ハイウェイの側道は整備が行き届かずじゃりをかきわけて土手の上り下りを繰り返すなど歩きにくい。

  足は快調と言っていいが、ザックの方は日に日に重くなっていくように感じる。時々、何でこんなことをしているのだろうと思うこともあった。

 

 やっとサン・マルティンの村が見えて来た。町の入り口に派手な看板を掲げているアルベルゲがあった。設備も清潔で整っているように見えて良さげなのでそこに入ることにした。

 

 そこのディナーは会食形式だった。実はカミーノの宿には会食形式のところが時々あるが、これこそがアルベルゲの醍醐味だと私は思う。3年前の初日の宿、オリソンがそうだったように同じテーブルで互いを知ることで自然に巡礼者同士の仲間意識が生まれる。

 

その夜、指定された730分に行くと、食堂の隅に予約席が二テーブル用意されている。

既に先客が座っている。アジア系の男女だ。女性の方が「カモン!ジョイン・アス!」と元気よく呼ぶので隣に座る。その後、スペイン人男性2名が加わった。

 

 同席した2組はいずれも対照的だ。中国系カナダ人だという夫婦は奥さんがしゃべり続け、旦那さんは相槌を打つだけ。スペイン人組は一人だけが会話に加わる。この男性は時間待ちしている間、庭の椅子に座って携帯でしゃべり続けていたのが印象に残っている。もう一人の男性は殆ど英語が喋れないことがじきに分かった。

 

 カナダ女性が昨日も日本人に会ったというのでどんな奴かと聞くと、他の友人二人もここを歩いていると答えたというので佐藤だと分かる。加えて、何かいつもニコニコしていてハッピーな方ですねと彼を誉める。佐藤らしいなと思った。昨日、彼は膝の痛みで最悪な気分だったはずだ。それでも彼は初対面の人には笑顔を絶やさない。

 

 まず赤ワインの陶器ピッチャーがドンとテーブルに置かれた。江口が隣のおしゃべりなスペイン人のグラスに注ごうとすると、いや私は飲めないのでと断る。

 それで皆が驚く。ワインを飲まないスペイン人がいるのか!

 すると、すかさず彼が「There are many kinds of Spanish」と言ったので皆が大笑い。いっぺんに空気が和らぐ。

 

 女性が終始、会話をリード。スペインでの交通ルールについてスペイン男性にしつこく質問するが、それをその彼はどうせラテンだから状況によってころころ変わるよと軽くかわす。初めは単におしゃべりなスペイン人だと思っていたが、「なかなかお主やるなぁ」と見直した。

(3)に続く