■15日目 ラス・エリエーアス⇒フォンフリア(20.1km)
漆黒の闇の中、三人のヘッドライトだけが足元を照らす。私にとっては久しぶりの本格的な登山だ。ここから8キロあまり先の頂上まで600mの標高差がある。殆ど登りづめなのがかえって助かる。この暗闇の中、この傾斜角を下るのは怖い。
人一人が歩くのがやっとの細道で、周囲の状況が暗くてよく分からないが恐らく狭い谷に囲まれているか深い森の中なのだろう、頭上に星は見えない。
寝静まった森の静寂の中、小動物の鳴き声だけで飛び上がるほど驚かされる。大の男三人で歩いていても心細い。ましてや女性が一人で歩くことはできないだろう。昨日、あのまま別れた京都の女の子はどうしているのか気にかかる。声をかけて一緒のアルベルゲからスタートすれば良かったかもしれない。
少し傾斜が緩くなったと思ったら森が開け空が広がった。その先の右カーブを曲がった途端に驚いた。真正面の山の頭上に満月が煌々と光る。完全なる満月だ。これ程に大きな月を見たことがない。
一時間歩いて最初の村、ラ・ファバを超えたあたりでやっと稜線に出た。白々と夜が明け始めている。晴れていれば、ここから素晴らしい景観が広がる筈だが、標高1000mを超える高地には低い雲が垂れ込めている。
峠のピークの村、オ・セブレイロまでは谷の淵を少しずつ登る登山道だ。
いつ雨が降り出してもおかしくない雲だが幸いにもこの日も合羽を取り出すことはなかった。予想していたほど寒さも感じない。ガイドブックなどで見るオ・セブレイロ村の写真に映る巡礼者は誰も合羽を被って寒そうにみえたのでこれは意外だった。
それにしても今日を含めて2週間以上、一滴の雨にも会わないのは奇跡と言っていい幸運だ。どこかこの先、教会があったら感謝の祈りを捧げないといけないとクリスチャンでもないのに思った。
オ・セブレイロは巡礼路中、最大の景勝地の一つだが、少なからず失望させられた。というのはバル前のアスファルト道を工事中で、掘削機の騒音が物凄い。私たちはケルト時代の茅葺の民家をカメラに収めると体が冷える前に早々と出発した。
【ケルト時代の茅葺の民家】
オ・セブレイロから巡礼路最後の州、ガレシア州に入る。いよいよゴールが近い。
ガレシア州の州都はサンチャゴ・デ・コンポステーラだけに州政府はカミーノ整備に力を入れていると聞く。その為かあちこちに道標が備えられている。しかも道標には情報が一つ増えている。サンチャゴまでの距離が記されていてこれは巡礼者にとっても励みになる。
最後の難関、オ・セブレイロ峠超えはサンチャゴ到達の目途が立った証でもある。心なしか私達三人を見る周囲の目が変わってきたような気がする。それまでは「珍しい日本人たち」への好奇も伺えたが、それが「結構、あいつらやるな」という敬意の目も含まれるようになったのを感じる。
アルベルゲで同室になったドイツの青年は鉄道マニアで日本の新幹線には感激したという。日本では僅か一週間の間に鉄道を乗りまくり21都市を訪れたという。またぜひ日本に行くと言うので、彼にもサーバスを紹介した。サーバスリクルート第二号だ。
そこでは久しく会わなかった女性にも会った。大分前に特効薬をあげようとした女優似の女性だ。明日は9キロだけ歩いて隣町で休養すると言う。
新しい出会いがあったり、なつかしい顔と再会できるのもアルベルゲの楽しみだ。ただこの直後、私はとんでもない人につかまった。
昼寝のために寝袋にもぐろうとした時だ。大柄な女性が私の横に立ったのが分かった。見上げると例の「I’m still alive」に大笑いした女性だ。私は、「やあ久しぶり」と挨拶しようとしたが彼女の様子が変だ。いつもにこやかな笑顔で話しかけていたのに、今は何か怖い顔をしている。
彼女が何か私に問い詰めるように話し始めた。だけど早口なのでよく聞き取れない」
「Your friends・・ △×■・・my stock・・△×■・・German man・・△×■・・tall Japanese・・△×■・・taxi・△×■・・」とか言っている。
その勢いに周りの人たちも注目する中、どうも私の仲間はどこにいるかと聞いているようなので私は上段のベッドに寝ている江口を指差した。
彼女は今度は江口に向かって、また同じような事を繰り返す。どうもストックがどうのこうのと言っている。私と江口が同時に気が付く。佐藤が間違えたストックだ!
二人で今度は一人離れたベッドにいる佐藤を指差した。
そこからは彼女の独壇場だった。今までのいきさつを佐藤に繰り返す。同じ話を三度聞いてようやく私にも事態が飲み込めた。
もうこれは全面的に非がこちらにあることを認めざるを得ない。佐藤は大きな体を丸めて謝る。
五人でストック置き場に行った。彼女は佐藤のストックをずっと持ち歩いていたので、そこでめでたく互いのストックが本来の持ち主の手に戻った。
彼女の話から彼女の行動を推察すると次のようになる。
まず三日前の朝、ラバナルのアルベルゲを出発しようとした彼女は自分のストックがなくなっていることに気が付く。それを周りの人に聞いてまわったに違いない。ここで、信じられないような偶然が起こる。我々が旅発つ時にそのうちの一人が彼女のストックを持って行くのを見ていた人(彼女の話ではドイツの紳士)がいて、彼は「背の高い日本人が持って行った」と証言したというのだ。
「背の高い日本人」と聞いて彼女はピンと来た。カミーノに日本人は少ないし、確かに私たちは三人とも日本人の標準身長を上回っている。
容疑者を特定してから彼女はどうしたか?ここからが凄いと思うのだが故意に持ち去ったのでない限り犯人のストックが残っているはずだ。それを特定するためにまだ宿に残っている巡礼者一人一人に自分のストックを申告して貰い、一本だけ残ったのが真犯人のストックだ。そしてそのストックを持って我々を追いかけるためにタクシーを呼んだ。
どうせ一本道だ、どこかで追い付く筈だがその日は見つけることができずにタクシーを降りる。しかし彼女は諦めず、必ず私達に会えると信じて三日間、のちに佐藤のものと判明するストックを持って歩き続けてきたということだ。
■16日目 フォンフリア⇒ピンティン(20.9km)
フォンフリアから先は稜線を緩やかに下る。右に谷を見下ろし、左に牧場を望む牧歌的な道が続く。次の村トリアカステーラまでの二時間の下りで望んだ景観は今回の巡礼中でも最も印象に残るものだった。
雲海に浮かぶ穏やかな山容と更にその頭上には青く光る月。左に目をやればのんびりと草を食む牛。ここまでの苦しい道のりを経て初めて得られるご褒美だ。
【雲海を望む】
【月明かりのもと牛が草を食む】
牧歌的な雰囲気はいいのだが困るのは牛糞の匂いだ。牛はしょっちゅう移動させられるがその時は人間様と同じ道を行く。その間、所かまわずにしょっちゅう糞をする。道は糞だらけだがそれを掃除する人はいないのでほったらかしだ。その匂いは強烈だ。
【トリアカステーラの入り口で見た樹齢800年の栗の木】
トリアカステーラは小さな村だがアルベルゲやペンションなど数多くの宿泊施設が思いの他、充実している。雰囲気も落ち着いていてしかも村内であれば牛糞の匂いが殆どしない。昨日、女優似の女性も言っていたが確かに休養するのに相応しい村だ。
村の先で二股に分かれていて私たちは右の山岳ルートをとった。山を越えたところに宿泊予定のピンティン村がある。
登坂に入ってから私はザックの不具合に気が付いた。いつの間にかチェストストラップが外れている。バックルが壊れて消し飛んでいるのだ。ザックが後ろに引っ張られるし、ショルダーストラップが左のなで肩をずり落ちるのが鬱陶しい。
バルのような所があったので一休みすることにする。そこではテーブルに並べた果物や飲み物を自由に取っていいらしい。勿論、お代はドネーションだ。そしてそこを運営しているのはひと昔前のヒッピーのようなグループだ。
来る人を拒まぬ自由な雰囲気はあるが、人によっては怪しいと感じるような所だ。私は3€寄付して、ぶどうとリンゴを取りジュースも飲んだ。ただ江口はこういう所が苦手なようで何にも手を出さなかった。
【確かに怪しげなところでした】
ピークを越えて下り坂になって私はザックの不具合どころでないピンチに襲われた。突然、右膝に痛みが走ったのだ。
こうなると下りは本当につらい。右をかばって左膝だけで踏ん張るのでバランスを保つために両手のストックに全体重がかかる。
どうにも我慢がならなくなり路肩の石に腰を下ろして鎮痛剤を飲む。しかし、薬が効くまで待っているわけにはいかないので立ち上がってもう一度歩き出す。ごろごろころがっている石が恨めしい。ちょっと足をひっかけただけでも膝に響く。
やっとアスファルトの道に出てホッとした。その先、巡礼路は山道に入るがまたすぐアスファルト道に合流するのが分かったので遠回りでも自動車道を歩く。そのうち、薬が効いてきたのか痛みが治まりかけてきたころにアルベルゲの入り口で待つ二人に追い付いた。
佐藤に大内転筋をマッサージするといいと聞いた。大内転勤とは太腿の内側の筋に沿った筋肉でここを膝の近くから徐々に上部へと指で押しながら触っていき一番痛みを感じるところを思いっきり押す。押して痛いのは筋肉が張っているからであってこれが膝の痛みの原因らしい。張りをほぐすのだから少々の痛みは我慢してできるだけ強く押す。
セルフマッサージじゃ足りないと言って、江口がいつもより手荒くもむ。特に膝を内側に曲げられた時は涙が出るほどの激烈な痛みだ。
セルベッサタイムのあと、今日の疲れが出たのか2時間近く眠りこけてしまった。はっと気づいてベッドから足を下ろして驚いた。あれほどつらかった膝の痛みがない。手荒なマッサージの効果に驚く。
三年前、妻は膝の痛みに耐えかねて巡礼継続を諦めた。あの時、大内転筋マッサージのことを知っていればもう少し歩けたかも知れないと思うと申し訳ない。
一階のバルには二人だけ先客がいた。そのうちの一人は、江口を待たせる私をスローウォーカーといい、江口を我慢強いねと散々からかってきたアメリカ女性だ。
彼女は、今朝のコースのあの月明かりに浮かぶ谷間の風景に感動したとか女性らしいことも言うが、本質的に口が悪い。疲労で食欲をなくした私が二皿目の肉料理を半分残すのを見て、彼女は「あなたはまだ歩き足りない」と憎たらしいことを言った。
■17日目 ピンティン⇒フェレイロス(20.3km)
カミーノ・デ・サンチャゴの巡礼証明書には取得条件がある。徒歩の場合、サンチャゴまで最低100キロは歩いたことがクレデンシャルのスタンプで証明されなければならない。そしてサリアの町からサンチャゴまでが100キロをわずかに上回る距離なのだ。よって巡礼証明書ゲットを目的とする者の相当数がサリアから歩き出す。
私達がサリアの町に入ったのは朝8時頃だった。ここ二三日、朝晩は冷え込む。早くから開いているスポーツショップがあったので江口が手袋を買いに入った。私も付いて行く。もしかしたらチェストストラップのスペアがないかと思ったのだ。残念ながらその店はミレーブランドを扱っておらずまだ暫く不便を我慢しなければならない。
街中の路地を歩いているとペンションのロビーにあのコロンビア二人組がいるのを見つけた。向こうも私達に気が付いて嬉しそうに手を振る。
サリアは坂の町だった。きつい階段を登った先に教会が二つつらなり、さらにその先の高台から町全体が見渡せる。
郊外に出た頃には、案の定、町のいたる所からあふれ出て来た巡礼者の行進だ。巡礼者はその数が増えただけでなくその質も変わったと私は感じた。端的に言うと、チャラいスペイン人が増えたのだ。彼らは決まってグループでナップザック程度の小さな荷でさっさっと歩きながら仲間と、のべつまくなしに何やら話している。なかには甲高い奇声を上げる者もいてはっきり言って頭悪そうだ。
もう一つ、犬を連れた巡礼者も多く見られるようになる。しかもこの場合、どういうわけだか決まってカップルだ。しかし、犬を連れた巡礼って・・・如何なものだろうか。
コロンビア組が私達に追い付いた。相変わらず「ガンバッテ、ガンバッテ」と繰り返すのでこちらは「アミーノ、アミーノ」と返す。先を急ぐ彼女たちとはバルの入り口で別れた。
【バルは人であふれかえっている】
【陽気なコロンビア二人組とはここでお別れ】
回りのアルベルゲから次から次へと子供が沸いてくる。地元の高校生の修学旅行とかち合ってしまったのだ。
ただでさえ若さがはちきれているのに彼らは軽装だ。後ろから抜かれだしたらいつ果てるかも知れぬ集団をやり過ごすために路肩に寄るしかなかった。
「ブエン・カミーノ」と声をかけると、中にははにかみながら小声で返す子もいて可愛い。それでも数人は歩き煙草だった。
当初、私の立てた行程計画表ではサリアに泊まる予定だった。それが前日、サリアまで僅か7キロの村に泊まったので今日はサリアよりずっと先に泊まることなる。これは私たちにとって好都合だ。
サリアからはベッド獲得競争がし烈になる。当然、人は大きな町に集まりがちなのでここではその隙間の小さな村を選ぶことにした。それで前日の作戦会議ではポートマリンまでの丁度、中間の地、フェレイロスに狙いを定めた。
この隙間作戦がまんまと当たった。その村の民営アルベルゲは広い敷地に二棟、バルと宿泊所がそれぞれ建っていた。
しかも宿泊者はまばらだ。私達の部屋は八人部屋だが他にはあとで二名、入って来ただけだ。しかももう一部屋あって勿体ないことにそっちはガラガラ。更に廊下には一体、誰が使うというのかジムスペースまである。
これは明らかに過剰な設備投資だ。銀行に騙されて今頃は返済に困っているに違いないと心配になった。
夜更けに停電。トイレも使えないのには困った。スペインも先進国の一つ。それで停電はいただけない。
(5)に続く
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