スペイン巡礼紀行 後編 (6) 春日屋 誠

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21日目 Taberna Velha⇒ラバコージャ(24.8km

 

 サンチァゴの5キロ手前のモンテ・デル・コゾというところに大きなアルベルゲがあって朝早くから巡礼事務所に並ぶ予定の者の多くが泊まるという。相当に混雑していることが予想されるので私達はそこを避けることにした。そうすると意外に選択肢が限られて、結局、最後の宿泊地に選んだラバコージャまでは25キロの長丁場になった。

 

出発は6時。暗闇の中、ヘッドライトを付けて歩くのも今日が最後だと思うと、よくここまで来たと我ながら感心する。

 

2時間以上歩いた先の村のバルに旨そうな朝食の看板を見つけたので入ることにした。考えて見れば、ずっと朝食といえばコーヒーとクロワッサンばかりだった。アメリカンタイプのボリューム一杯の朝食もたまにはいいものだ。

 

豪華に並んだメニューを写真に収める前にがっついている佐藤はジュースを飲みほしていた。

 

【ベーコン二枚と目玉焼き2つ、コーヒーにパン。あっ、オレンジジュースが!】

 

 ペドロウソの村に入った頃から時折、ドーン、ドーンという爆音がする。日本で小学校の運動会の朝にあげるあの花火の音だ。今日は日曜日だ。スペインでも同じ習慣なのかなと面白く思ったが、なんのことはない、この先の山上に飛行場があってバードストライクを避けるために鳥を追い払っていただけだった。

 

 飛行場の周りを迂回すると広い自動車道に出た。すると坂下から駆け上がって来るヒューンというあのエンジン音は!?・・・真っ赤なオープンのフェラーリだった。

 

 巡礼路にフェラーリ? この先は大都会、サンチャゴ・デ・コンポステーラだ。そこには銀行もあれば五つ星ホテルもある。フェラーリを乗り回すセレブに出会っても不思議じゃない。

 

 

 バルに寄るとカウンターの若者から「いよいよファイナルだね」と声をかけられた。「いや。ゴールするのは明日だ」と言うと、「それも賢い」と頷く。ここで毎日、ゴール間近で高揚している巡礼者と接する彼。お祭りが毎日続くのを見ているような生活なのだろうか。

 

 そのバルでまた、あのご婦人に会った。いつも私をスローウォーカーとからかう女性だ。「今は俺はスローウォーカーじゃないよ」と言うと、またもや疑わしそうに目を細めた。

 

 アルベルゲでは昨日のドイツの若者にも会った。今日は青年と小柄な女性だけの二人だ。もう一人の女性はいないので彼女はどうした?と聞くと、「今日は別行動で明日、サンチァゴで会う約束をしている」とのこと。推察していた通り、この青年と小柄な女性がカップルでもう一人の女性にはちょっと事情があったようだ。

 

 その日、妻からメールを受け取った。「ドイツサーバスの会長を務める女性が来日するのでスティを希望している。ただし貴方の帰国予定日の翌日からなので迷っている」との内容だ。よっぽどドイツとは縁があるらしい。すでに4人のドイツの若者に案内している縁がある以上、断るわけにはいかない。快諾の返事を妻に頼んだ。

 

 隣のベッドの巨漢はプエルトリコ出身だった。膝を痛めていて引きずりながら歩く姿がつらそうだ。明日はトランスポートを利用すると言っていた。

 

 

■最終日 ラバコージャ⇒サンチャゴ・デ・コンポステーラ(10.6km)

 

 今日から10月。途端に空気が冷たい。しかも強い風が朝から吹いている。

 

 ここからサンチャゴまでずっと自動車道を下るが風が身に染みて寒い。ストックを握る手もかじかんでいる。

 

 一時間ほどでモンテ・デル・コゾに着いた。ここからはサンチャゴの大聖堂が望めて、それに祈りを捧げている二人の巡礼者をかたどった有名なモニュメントがある。私はそのモニュメント越しに大聖堂を写すのを楽しみにしていたが、あにはからんやそのモニュメントは巡礼路から少し離れていた。そこまで歩く気にはなれず、代わりにモダンなモニュメントと遠く望む大聖堂を写真に収めた。

 

【近代的なモニュメント】

 

【遠くサンチァゴの大聖堂を望む】

 

巨大なアルベルゲと呼ばれるところに出た。それはアルベルゲ団地と呼んだほうが相応しいほどにいくつものコンクリート製の無機質な建物が何棟も連なっている。巡礼者の姿は既になくがらんとした室内は抜け殻のように見える。ゴール前夜の宴があったのだろうか、付近の歩道にビールの空ビンや花火の燃えくずがころがっている。

 

 大都会サンチャゴの市街地に入ると都会の人波に巡礼者は吸い込まれてもう目立たない。忙しく道行く人も我々には無関心だ。「ブエン・カミーノ」との挨拶もここでは聞かれない。

 

 町の中心部に行くほど道は狭くなり両側から密集した家がせり出すように迫るのでカテドラルがなかなか現れない。たどり着くまでの時間はひどく長く感じられた。

 

 カテドラル前の広場には多くの巡礼者がいる筈だがあまりに広大なスペースなためか、まばらに佇んでいるという印象だ。

 

 3年ぶりに大聖堂を仰ぎ見るが特別な感慨が湧いてこない。これは意外だった。もっと胸に迫るものがあるかと思っていた。むしろ、あっけなくたどり着いてしまったというのが正直な感想だ。所々で記念写真を撮っている巡礼者の様子も淡々としたもので、感極まって抱き合うという姿は見られない。

 

【カテドラル前で達成記念写真(左が江口、右が佐藤)】

 

昼食のためにバルに入った。勘定をすませてザックを背負った時に、窓際のテーブルで一昨日のアルベルゲで涙を流した女性が見知らぬ男性と席についているのに気が付いた。彼女の話を男性はうつむいて聞いている。やはり青年と小柄な女性がカップルで、大柄な彼女は友達として同行していたのだろう。

 

私の視線に彼女も気が付いた。すると一変した笑顔で手を振る。私も手を振り返す。彼女の笑顔が「私は大丈夫よ。ありがとう」と言っているのが私には分かった。

 

宿を探すためにインフォメーションでアルベルゲの場所を聞くがその数が多すぎてかえって決めかねる。貰った地図を広場で広げているとおばさんが一人、寄って来た。ペンションの客引きだ。手短に立地と設備を説明し、3人で2泊だったら一人60€だと言う。それなら妥当だと即決した。

 

 ザックを部屋において巡礼事務所に向かう。既に夕方だが長蛇の列だ。廊下を一周して最後尾は中庭まで続いている。

 

 ここでは、並ぶ人たちの中には感極まってかパートナーと抱き合っている人も見られた。クリスチャンにとってはやはりカミーノ・デ・サンチャゴを歩くことは特別の意味を持っているのだろう。

 

 佐藤は立っているのがつらそうだ。それほどに膝の調子が悪いのか。

 

 佐藤は巡礼を始めた頃は巡礼証明書にはあまりこだわらないようなことを言っていた。そんな時、彼が「卒業証書」と言うのでそれが巡礼証明書のことを指すということが分かるまで少し時間がかかった。

 

しかし流石にここまで来たら手ぶらで帰るのは勿体ないと気が変わったとみえる。

 

 並び始めて一時間位経った頃、先に並んでゲットした巡礼証明書を掲げた例の口の悪い女性が私達を見つけて寄って来た。今回は真面目な顔をして巡礼達成のお祝いを言う。そしてもうお別れねと言うように私達一人一人とハグをした。ここに来て、なんとなく欧米風のハグも板についてきたと思う。

 

 ところで彼女は貰った巡礼証明書を嬉しそうに掲げて、「グラディエーション」と表現した。ということは佐藤が「卒業証明書」と言っていたのも的外れではなかったということだ。

 

 

■サンチャゴ滞在2日目 

 

 巡礼証明書はゲットした。やり残したことは一つだけだ。勿論、カテドラルのミサ参列だ。3年前に2日連続で経験しているがやはりこれをスルーしたら申し訳が立たないというものだ。

 

 12時からのミサのために1時間前にはカテドラルに入ったがすでに椅子席は八割位埋まっていた。ここでばかりは皆、静かに待つべきだろうが呆れたことにここにも犬を連れ来る奴がいるらしく流石に警備員に追い返される。

 

 シスターの讃美歌が始まった。3年前と同じ方なのだろうか。澄んだ美しい声がドーム内に響き渡り、否応にも厳粛な雰囲気を醸し出す。ただし前は素晴らしい歌唱指導があったが今回はない。毎日のことだから時々は手を抜くのかもしれない。

 

 神父のお説教はスペイン語だから何だかさっぱり分からないが、所々で私達も起立するところは周りの人を見ていれば分かる。ミサの手順もおぼろげに覚えていたが、一つだけ参列者も参加する箇所がある。それが「主の平和」だ。

 

 この時は、皆立ち上がって隣合わせた人と握手をする。前後左右の人に頭を下げ、「Peace of God」と言いながら握手を交わすのだ。この時、家族や友人同士で握手しても意味がない。たまたま今日、隣合わせた見ず知らずの人と心を交わすことが重要なのだ。

 

この習わしのことを二人にうっかり伝えていなかった。二人は多少、戸惑ったことだろう。

 

 最後がいよいよ皆のお目当ての大香炉の点火だ。大ドームの中を大きく振れる香炉は今や一大エンターテインメントだ。

 

【大香炉を参列者が見上げる】

 

ミサが終わってカテドラル内を見学した。聖ヤコブの像の後ろ側にまわる長い行列に付いた。ここで多くの人が聖ヤコブに後ろから抱きつくのだが、流石にそれは気恥ずかしかったので私は軽く背を撫ぜるだけですませた。このあと、地下に下るとヤコブの棺があるのを私はすっかり忘れてしまい見逃してしまった。

 

 

 今回のカミーノ・デ・サンチャゴでは多くの印象深い出来事があったが、その中でも最も強く心に刻まれているのが同じ道を共に歩んだ人たちとの交流だ。そしてここサンチャゴ・デ・コンポステーラでは何人かの方と再会することができた。

 

昨日の二人に続いて、この日は、まず立派な髭の旦那を従えた綺麗な奥さんとほぼ一週間ぶりにバッタリ会った。互いの健闘を称えて握手。この時ばかりはあの旦那も笑顔だった。

 

 そして奥さんと久しぶりのデート中だったデンマーク男性。彼は「これが私が一ヶ月かかって歩いた道を飛行機で一時間で飛んできた賢い妻です」とご自慢の奥さんを私達に紹介した。

 

 ドイツのカップルとも再会した。二人で更にこの先、大西洋に面したフィステーラまで行くと言う。多分、あの二人はいい夫婦になる。

 

 ミスターアグリカルチャーとも再会。いつかは日本に行きたいと言うので彼にもサーバスを紹介した。

 

 バルから私たちに気が付いて窓ガラスを叩いて呼ぶ人たちがいる。中に入ってハイタッチ。でもどこで会った人たちだったか三人とも思い出せない。

 

 そしてハイライトがカテドラルの裏でバルを探している時に訪れた。目の先のオープンテラスに大勢の女性に囲まれて見知った顔があるのを発見した。佐藤にストックを間違われたあの女性だ。

 

 彼女は何か笑いながら周囲の人と話していて突然、私達三人が現れたことに気付く。驚いた表情で周りの人に叫ぶと私達に駆け寄って来た。彼女の周りにいた女性たちが一斉に振り向き、大笑いしている。笑いはそのテーブルだけでなく周りに波及している。

 

 おそらく彼女は道々、ストック追跡事件の顛末を話していたのに違いない。そしてここでも巡礼中に出会った人たちにエピソードを披露している最中の絶妙のタイミングに渦中の人物が現れたので笑いがはじけたのだ。

 

 私はついに前から抱いていた疑問をぶつけることにした。

 

「私達と初めてアルベルゲで会った時、あなたは四人で歩いていましたよね。一緒にいた男性の一人はあなたの旦那さん?」

 

 彼女は怪訝そうに答える。「巡礼中は多くの人に会っているので誰のことかよく分からないけど、私の主人はオランダで私を待っているわよ」とのことだった。

 

【ストック追跡事件の当事者(左端と女性)と関係者】

 

 

■サンチャゴ以後

 

 私達は当初予定より三日も早くサンチァゴに着いてしまったので帰国便まで一週間ある。そこで三人でバルセロナに移動することになった。ただその一週間はカミーノに比べてあまり実りある旅ではなかったので主な記憶を箇条書きにするに止まる。

 

・サンチァゴからバルセロナまでは13時間の列車の旅だった。一ヶ月近くかけて歩いた道をブルゴスまで遡る間、色んなことを思い出した。その他にはローマ時代の水道橋の下を列車が潜ったのに驚かされた。

 

・バルセロナではアパートマンションを予約していたがチェックインの期限が6時までであることを見逃していた。一時は野宿まで覚悟したが12時にスタッフから電話があって助かった。

 

・サクラダファミリアの入場チケットは翌週月曜日までソールドアウト。中には入れなかったが外見だけで充分。巨大な教会だが「それがどうした?」というのが正直な感想だ。

 

・佐藤は一足先にバルセルナから帰国。江口とバスでマドリッドに移動。このバスは途中駅で何人かが乗り降りする長距離路線バスのようなもの。予告なしで発着するので置いてきぼり食っても自己責任の世界だ。

 

・マドリッドでは美術館でピカソの「ゲルニカ」を見物。あまり芸術は分からない。

 

結局、カミーノのあとでは、人との接触が薄い「観光旅行」の侘しさが分かっただけだった。

 

 あの濃い一ヶ月。一期一会の毎日。なんとか念願を果たせたのはひとえに二人のお陰だ。

 

佐藤のスペイン語には助けられた。体の不調にも関わらず最後まで付き合ってくれたことに深く感謝している。早く膝が治ることを祈るがお酒はほどほどにと言いたい。

 

江口は私達のペースに合わせてよく我慢してくれた。そして毎日のマッサージにも感謝だ。今は岡山の畑で汗を流していると思う。たまにはご飯も作って奥さん孝行してくれたらもっと嬉しい。

 

 

私は今回の経験から何を学んだか?それは道々、ずっと考えていたことだが、結局、私にできることをやるしかない。それは恩返しだ。今後も一人でも多くのサーバスゲストを迎える草の根国際交流を通じてカミーノでお世話になった方々への間接的な恩返しとしたい。

(おわり)