バルト三国とポーランドSERVAS 旅行 東京Y.I.

日程 2019.10.410.25

10. 3 (木)→10.4( )Air China北京経由ワルシャワ(乗換)

10. 4(金)リトアニアの首都Vilnius(デイホストと交流、ホステル宿泊)

10. 5(土)VilniusKaunas(2人のホスト宅2)

10. 7(日)Kaunas→(十字架の丘)→ラトビアの首都Riga (ホスト所有のアパートに3泊)

10.10(木)Riga→エストニアのTart(ホスト宅に2)

10.12  () TartTallinKardla(ホスト宅に2)

10.14(月)KardlaTallin(ホステル泊)

10.15(火)TallinGdansk(公務10.20まで)

10.21(月)GdanskWroclaw(ホスト宅に2)

10.23(水)WroclawWarsawa(ホスト宅に2)  10.25(金)帰国 

 

旅行の動機

 

渡航1週間前になって派遣会社が大学との協定破棄、依って私は無職の暇人。それで交通費自費のITTF,チャレンジポーランドオープン審判を引き受けて、その前後に旅行。

 

SERVASの実態 

いつも苦労するホスト探しだが、バルト三国はメンバーが少ないうえに、ホストリストが3年前から更新されていない古いものとあって 大変だった。特にリトアニアは、今回お世話になったデイホストの話によると 首都のVilniusの会員は ほぼ全員が転居や退会で、組織の実態がない状態だという。

リストに記載された会員の全員にメールを送ったが全部戻ってきた。

唯一人、手紙連絡のみと記載されたデイホストに手紙を出し、出発前日にOKメールをもらった。 

リトアニア第二の都市Kaunas3人のホスト以外は不明、其れ以外の地方には、いない。. 

ラトビアホストは実質一人で、ほかは彼女の友人でデイホスト5人、いずれも首都のRiga

エストニアホスト1人、デイホストが2人の合計3人だけ。元教員の2人は高校大学の時からのルームメートで、20144月に桜を目的に来日。3人のSERVASホストのお世話になったといってアルバムを見せてくれた。今は退会した会員や現在もホストとして活動しているメンバーが写真に写っていた。よろしく伝えてほしいといわれた。もう1人は首都Tallinに住んでいるが平日は看護師として他市で住み込んで働き週末だけ自宅に帰るというメールだったので会えなかった。

ポーランドはホストもデイホストも多いがほとんどは首都と大都会に住んでいる。メールの返信も迅速で連絡が取りやすかった。

  

ホストとの交流 

① 一人目(デイホスト)・・・大学の先生

空港まで迎えに来てくれ、市内を案内してくれた。彼女の大学の身分証明書で観光客が入れない欧州で一番古い図書室を見学。大学に戻る前に軽食を共にした。

彼女は毎週末Kaunasの一人暮らしの母親の所に車で行っている、ということで、翌日の土曜日、同乗させていただいた。その上、杉原千畝博物館まで案内してくれた。気温25℃の東京から最高気温8度のリトアニアに到着した日は、雹が降り寒いのなんの、、、コート1枚では寒くて耐え切れず、セカンドハンドショップにも連れて行ってもらったてもう1枚コートを買った。本当に助かった。親切な人だった。

 

② 二人目・・・会社員 

私はLOIにいつも「行きたい所リスト」を書いておく。それを覚えてくれていたのか「博物館に行く?植物園にする?」と聞いたので 植物園にした。寒かった。 

「今夜、日本人のモダンダンサーのショーに行くが、あなたも行く?」ときかれたので、即、「行く」と答えて チケットを買ってもらった。下北沢の小劇場のようなところで、思いもかけないダンスを見てきた。誘われなければ、決して自分から行くようなことはなかったであろう。SERVASならではのホストとの交流で「世界が広がる」こととはこんなことだと思った。ホストはボーイフレンドと住んでいるので 同じアパートに一人で住んでいるお姉さんの部屋にとめてもらった。

 

③ 三人目・・・会社員 

泊った日はホストがサマーハウス(市民農園のような畑にある休憩所)に週末泊りがけで畑仕事しに行って帰ってきたばかり、お疲れの様子だったが、いろいろお話をしてくれた。家族がアメリカに移住したこと、自分も他国で働いていたこと、そして移民についての考え方などなど。

  

④ 四人目・・・アーテスト(陶芸、書画、絵画)ラトビアのコーデネーター 

彼女はアートでは食べていけないので 絵画や陶芸教室の講師をしているから とても忙しいといった。祖父母のアパートに住んでいた兄夫婦が引っ越してそのアパートが今、空いている。そこにあなたは泊って好きにしていい、という。調味料からコーヒー紅茶、石鹸タオルまで入れた大きなバッグをもってタクシーでバスターミナルに迎えに来た。その足でアパートに直行。それから彼女の仕事場(古い工場の倉庫を改装)に案内してもらった。「今夜は友人が日本語教室を始めたので それを見学に行きませんか」と言われたので、OKといって「じゃ、夜7:00」と約束、またアパートへ逆戻り。夜は日本語教室、といっても生徒は4人で、ケンブリッジでITを学んだロシア人が教えていた。10分くらいお邪魔してまたアパートに戻る。アパートのすぐ近くにあるスーパーで食材を買い、作って食べて寝た。久しぶりに。ぐっすり寝た。

翌日は、その前日に観光地で偶然 出会った日本人と一緒に 教会のパイプオルガン演奏会へ。その後 ガイドブックも何も持っていない私は、すっかりその日本人にお世話になって、旧市内観光。2日目の夜はホストが教えている中国絵画教室を見学、あなたもやってみるかと言ってくれたが、遠慮して早々とアパートに帰った。市場で買った珍しい天然キノコを調理して食べて早々と就寝。 

Riga 3日目、「市場で天然キノコを見たが どこに行けばキノコがあるの?」と聞いたらホストは「どこにでもあるよ」という。そして電車で約30分の郊外経行くように勧めた。そこは無人駅で周りは松林、列車からもキノコが見えるくらいだった。松林の先は海で夏はリゾート地としてにぎわうところのようだった。

  

⑤ 5人目・・・退職した教員、孫の世話をするために首都から引っ越してきたという。 

2歳の孫をベビーカーに乗せて、一緒に市内巡り。そしてまたもやセカンドハンドショップへ。国際審判員のズボンの色が黒に変わったというメールがあったので 買いに行った。ホストがミシンを出して裾上げをしてくれた。とても感謝。昼ご飯は外で食べたので私が負担。夜は「卓球ができるところがある。行くか?」という。その日は丁度、公共の体育館に卓球のコーチが来て、教えてくれる卓球の公開日らしかった。コーチとの練習は有料だったが20分くらい相手をしてもらった。そして地元の人たちとゲームをして1時間くらい遊んで帰った。ホストの娘さんが 卓球できるところをスマホで探してくれたそうだ。ホストは卓球をしなかったが、椅子に座って終わるまで待っていてくれた。

 

⑥ 6人目・・・元教員 

6人目のホストはフェリーで1時間の島に住んでいた。ロシアが攻めてきたとき、祖母がこの島に逃れてきたという。ホストの家は村はずれの林の端にあった。林に入ると右も左も、キノコ、キノコだった。

  

⑦ 7人目のホストと、デイホスト(2人は友達同士)・・・2人共会社員 

彼は仕事で空港に迎えに行けないし、5時まで仕事なので、デイホストを探しておく、翌日は仕事の都合が付けられるので、近くの世界遺産の街を案内できる、とメールしてきた。 

事実、空港までデイホストが迎えに来てくれて旧市内を案内してくれた。昼食を一緒に食べたので私が払った。夜はその家族も来て、にぎやかな夕食会だった。翌日は初めに森へキノコ狩りに行ってから世界遺産を観光、結構疲れたので早寝。

  

⑧ 8人目のホスト・・・40歳代の夫婦、2人共広告に関する仕事の会社員

ワルシャワで日本語専攻、広島大学に1年留学、日本語を使わないので忘れたと謙遜。英語のほうが楽だといって殆ど英語で会話。子供が4人でにぎやか。「明日何をしたいか」ときかれたので「夜はショパンサロンで演奏を聴きに行きたい」「昼はお婆さんにアップルパイとダンプリングの作り方を教えてもらいたい」と言った。お手伝いさんと2人で作りみんなで食べて楽しかった。食べた後は子供たちと一緒に庭の落ち葉掃除。大袋7つも!

ホストにサロンの予約をしてもらい、ショパンカフェへ。お客さんはその日、10人位だった。大きなコンサートホールで聴くのと大違い、大迫力、ピアニストの情熱が伝わってくるようだった。当然だがチケット代金2人分は私が負担した。

 

今回、どのホストとの会話でもロシア、ドイツとの戦争、旧ソ連に占領されて自由がなかった時代のこと、独立するまでの過程が話題となった。言論抑圧、投獄、略奪、強制労働、世界史の生々しい実体験に基づいた講義を聞いているようだった

どのホストもみんな親切で 私のやりたいことを汲んで、忙しい中を楽しませてくれた。心から感謝!行ってよかった。             (了)

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コメント: 1
  • #1

    憧れる性癖のおばさん (木曜日, 28 11月 2019 16:56)

    バルト三国とポーランドの旅、それだけでも珍しいのに、ご本人はITTF,チャレンジポーランドオープン審判というなんだかわからないけど、偉い人。
    読み進むうちにお金のことがきちんと書いてあって、しっかり者なんだとわかる。さらに、ITTFが卓球の大会のようだ、とわかって、偉い人は卓球の元選手であり、今は審判員という輝かしい人生を生きてこられた方と判明。
    サーバスって、すごい人がいるんだ!